「あのときの自分を叱ってやりたい」
吉田 「何やってもウケへんねんやったら、もうスベッたれ」じゃないですけど。
――ヒドい男やな! 「スベるならもろとも」みたいな。
吉田 いま思えば「なんちゅうことしてんねん」って思いますし、あのときの自分を叱ってやりたいです。
本来ならもっと感謝するべきですし、僕がもっと上手いことやれてたら、そこからもうひと段階上にコンビで行けてた可能性もあるのに……足を引っ張ってしまいましたね。
――でも、その後ちゃんとコンビでもテレビに出るよね。
吉田 そうなんです。僕らが漫才でやってた「モヤモヤするねん!」っていうフレーズをショートネタにして「爆笑レッドカーペット」のオーディションでやったら、すぐ収録に呼んでもらえて。しかも「レッドカーペット賞」っていう、毎回一組しかもらえない賞を2週連続でいただいたんですよ。
――すごいな!
吉田 ただ言いにくいんですけど、そのころはもう番組としてのブームが過ぎてしまっていて、そんなに話題にはならずで。番組自体も程なくして終わってしまいました。
――それはガクッとくるね……。
吉田 そこからしばらくして、マツコデラックスさんがMCの「(株)世界衝撃映像社」っていうフジテレビの番組が始まるときのオーディションに行ったんですよ。世界各国で過酷な映像を撮ってくるレポーターの仕事だったんですけど、それに受かりまして。
――有吉弘行さんのコンビ「猿岩石」が大ブレイクした「進め!電波少年」以降、若手芸人とかが世界をまわって過酷な挑戦をするような番組が、一時期増えたよね。
吉田 他のレポーターは、狩野英孝さんとか、平成ノブシコブシさんとか、ペナルティさんとか、当時すでに売れっ子になってた人たちだったんです。そこに僕らも入ったからもう、「これは売れた」と。「売れるってこういうことなんや」と。マツコさんも人気がグイグイ上がってきてるころでしたし、芸人仲間も「売れましたね! おめでとうございます!」って声かけてくれて。それで意気揚々と海外に出発して、いろんな国を旅して映像撮りまくって。めちゃくちゃしんどかったんですけど、充実感もあったからアドレナリン出てますよね。それを半年くらいやってたら、ディレクターが急に「番組が終わることになりました」って。
――半年で!?