解散の理由は…
吉田 そのシステマのおかげで、いろんなバラエティ番組に出させてもらえるようになったんですけど、それがまさに「(株)衝撃映像社」から7年後でした。
――7年経とうが、またバラエティ番組でフィーチャーされる武器を見つけたのって、本当にすごいけどね。
吉田 でも結局、そのあと解散することになりまして。
――その理由はなんなの?
吉田 やっぱり長いこと売れてなかったので、コンビとして煮詰まってたんですよね。そんなときに「システマ」がハマって、番組を一周させてもらったんですけど。
「番組を一周する」というのは、「ギャグ」や「フレーズ」「特技」などでブレイクしたり、「M-1グランプリ」のような大きな賞レースで名を上げた芸人が、情報番組やバラエティなど、ゲスト枠がある番組に片っ端からよばれることだ。そこで跳ねた芸人はまたよばれるが、悲しいかないちどきりの出演になる芸人も少なくない。
吉田 いろんな番組によんでもらいましたし、それぞれの現場でもウケて結果も残せたので「これで上に行けるんじゃないか?」って、ふたりしてほんのり思ってたんですよ。でも、一周させてもらったら、パタッとオファーがなくなって、またライブだけの日々になって。そこでもうちょっと待てばよかったかもしれないですけど、「あれ? また売れへんパターンやん」みたいな気持ちになってしまったんです。
――それはしんどいね……。
吉田 そのころみなみかわも、2人目の子供が生まれるときで。やっぱり家族を養わなければならないじゃないですか。だから解散を切り出されたときに言われました。「もう自分のために頑張りたい。コンビを解散して、ひとりでやってみたいねん」って。僕はやっぱりコンビでやりたかったので、なんとか説得して、そこから1年半くらい続けてもらったんですけど、なかなか思うようには仕事が増えなくて。そこで改めて「解散しよう」っていう話を持ちだされたので、最終的に僕もそれを受け入れました。
――それが39歳のときでしょ。そこからピンで芸人を続けようとは思わなかったの?
吉田 僕はコンビっていう形にこだわりたかったんです。でももう40歳近くになってて、これから新しいコンビを組むのも厳しいかなって。いまでこそ「錦鯉」さんが、おじさん同士でコンビを組み直して、ボケのまさのりさんが50歳で「M-1グランプリ」優勝(2021年)したり結果を出してますけど、その発想と根性は、当時の僕にはなかったですね。
――あれは稀有な例でしょ。本当に、心からすごいと思うけど、迂闊にマネをすると取り返しのつかない人生になりかねない(笑)。
吉田 現実問題、またイチからやっていくには歳をとりすぎたかなと。もういちど、自分を奮い立たせられなかったです。そこで芸人を引退することに決めました。
――コンビ仲はどうだったの?