現役のアメリカ陸軍少佐であり、ハンドガンやライフルの実演動画を日本語でYouTubeに投稿しているジェレミーさん(38)。「実銃 VS. 車のドア!」「世界最強50口径VS防弾プレート」などの動画は50万回以上再生され、チャンネル登録者数は8万人に達している。

 ユーモアな口調でトークを繰り広げるジェレミーさんは、アメリカ史上最長の戦争となったアフガニスタン戦争の帰還兵でもある。日本人の母親を持ち、幼少期を香川で過ごしたジェレミーさんの軍人になるまでの道のりを聞いた。

アメリカ陸軍少佐のジェレミーさん

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4歳から10年間を香川で過ごす

――日本には何歳のときに来たのでしょうか。

ジェレミー 生まれはカリフォルニア州で、4歳のときに日本に来ました。僕は弟と妹がいる3人きょうだいです。父はアメリカで働いていましたが、最終学歴が高校中退だったこともあり、子ども3人を養えるだけの給料をもらえる仕事に就くのが難しくて。香川県に住む母の家族のサポートを受けながら生活しようと思い、日本に引っ越しました。

 僕は明るくて元気な子どもだったので、スポーツの少年団にも入っていましたし、毎日めちゃくちゃ楽しかった。友達もたくさんいました。

ジェレミーさんと祖母、妹、弟

――90年代だと、外国籍の人は少なそうですよね。

ジェレミー 田舎に住んでいたので、クラスにハーフは僕ひとりだけでした。珍しかったので「アメリカ人! アメリカ人!」といじられましたが、僕自身はおいしいと思っていました。でも、学校の授業だけは苦手だった。落ち着いて席に座っているのが難しくて、授業中に歩き回ったり、友達に話しかけたりしていました。

――ヤンチャな子どもだったんですね。香川には何歳までいたんですか。

ジェレミー 中学2年生の14歳までです。ある日、アメリカに住んでいるおじいちゃんから「お前、アメリカに来て生活したらどうだ?」って電話が来たんです。僕もまだガキだったので、軽い感じで「それいいね!」と答えて、アメリカに住む叔母の家で暮らすことになりました。

 中学時代の成績がものすごく悪かったのもあって、家族は僕と日本の教育制度が合わないと思っていたんでしょうね。県内でいちばん大きい学校に通っていたんですけど、300人いる生徒の中で下から50番目くらい。母も「将来のために大きな変化が必要だ」と考えたんだと思います。

――アメリカに行く前は英語は話せたんですか。

ジェレミー 家庭では日本語で会話をしていたので、まったく話せませんでした。ゼロからのスタートでしたね。辞書を引きながら勉強していました。