まるで大海で針を捜すような作業
いくらペルシャ湾内といえど、一歩港の外に出れば、もっとも狭いホルムズ海峡ですら幅は33km。そんな見渡す限りの海原で、敵に見つからないように敷設された機雷を見つけるのは至難の業であり、大海で針を捜すようなもんである。それでも目的を達成するためには、恐怖に打ち勝ち、怪しい海域を捜し回るしかない。それも確実に機雷がないことを証明するために、何度も何度も捜し回るのである。
ところは灼熱のペルシャ湾。もし機雷を見逃せば、排水量500tの掃海艇はもちろん、7000t超の「ときわ」もひとたまりもない。この困難な状況下から逃げることも許されず、恐怖に耐え、航海を続けなければならない。その苦難とプレッシャーは察して余りある。ましてや当時はメディアが鵜の目鷹の目で自衛隊の粗を捜していた最中である。
さらにペルシャ湾内には10カ国以上の多国籍艦隊が派遣されており、そんな中に遅れてやってきた掃海艇部隊は注目の的。もちろん国際社会から感謝されたものの、噂に違わぬその掃海戦能力をおおいに期待され、その期待に応える必要もあった。
それらのプレッシャーも跳ね返し、部隊は早朝から34度を超える灼熱地獄の中、油を必要とする日本のいや世界中の人々のため、安全な航路を確保すべく、機雷ウヨウヨの危険極まる海域で汗を流し続けていた。
艦内設備は「海水風呂」から「クリニック」まで
掃海艇内はハイテク機器やコンピューター満載でビンビンに冷房が効いていたが、艇内に常駐できたのは航海員だけ。あとはふいの触雷に備え、甲板に出ずっぱりである。ぶ厚いカポックと呼ばれるライフ・ジャケットと防弾ヘルメットを着用したままで、食事も甲板で摂らなければならない。
司令部も入れて511名の乗員は、皆若い。日の出から日没まで汗をたっぷりかく。しかし、洋上で真水が貴重なのは古今東西どこも同じである。洗濯は「はやせ」に乗り移って手洗い、入浴はせいぜい1週間に一度。「はやせ」でシャワーを浴びるか、「ときわ」の海水風呂である。
そんな「ときわ」には「ときわクリニック」と看板が掲げられた医務室が備わり、防衛医科大を卒業された妻島1等海尉と歯科医官も詰めておられた。さすが国の威信をかけて派遣された日本の軍艦である。そこら辺の下手な病院より近代的な設備が整い、万が一、手足を吹き飛ばされても、ちゃんと外科手術できるくらいの設備は整っていた。
その後、ペルシャ湾派遣掃海部隊は34発の機雷を発見。すべてを無事処理し、約100日にわたりこの海域の安全航行に寄与した。各国海軍も海上自衛隊の掃海能力とその成果に感嘆の声を上げ、海上自衛隊は「小切手外交」と揶揄され、失墜した国際社会での日本の評価を回復させた。511名の派遣部隊員のうち急病を発し、緊急帰国せざるを得なかった1名を除き、全員が3カ月以上の激務ののち無事帰国したのである。

