日本随一の観光地になったワケ

 言われてみれば、熱海は東京駅から新幹線を使えば1時間とかからない。ちょっとお金はかかっても、遠出というほどの距離ではない。高尾山よりも、時間的には近いのだ。

今回の路線図。都心からのアクセスは抜群。

 そんな場所に温泉もあるし海もあるし、小洒落たリゾートホテルもある。そして名物グルメも揃っている。これほど手軽に観光できる町など、他にどこがあるというのだろうか。

 

 そして、これこそが熱海を首都圏を代表する観光地にした理由そのものなのである。

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徳川家康も愛した“熱海の湯”

 古くから存在が知られ、鎌倉武士の湯治場にもなっていた熱海が一気に知名度を高めたのは、江戸時代のことだ。徳川家康や家光らがたびたび入湯したことで脚光を浴び、江戸在府中の大名たちも熱海の湯を求めて足を伸ばした。

 江戸時代中期には庶民も訪れるようになった。が、それでも熱海は険しい山を越えた先。いまのように誰でも気軽に行ける町ではなかった。そこで、源泉を樽詰めにして江戸まで運ぶ商いまで生まれたという。“熱海の湯”がいかに庶民の憧れだったのかが窺える。

 明治に入ると、熱海は政財界の要人の保養地・別荘地として発展する。伊藤博文や大隈重信といった面々が熱海に集い、憲法制定などについて議論を交わしたというエピソードも残る。いまも名所のひとつである梅園ができたのもこの頃のことだ。

 

 ただ、まだまだ庶民にとって熱海は高嶺の花。いまでこそ新幹線も東海道線も通っているが、明治期の熱海にはマトモな鉄道が通っていなかったのだ。

 1888年には国府津~小田原間が馬車鉄道でつながり、小田原から熱海までは人力車で約5時間。1896年にはようやく鉄道が熱海に達するが、豆相人車鉄道といい、つまり人が客車を一生懸命押して山を越えていくという、前時代的な乗り物だった。

 

 ときに山道を越えることができずに逆走したり、ひっくり返ったり。お客が一緒になって客車を押して進んでゆくことも珍しくなかったという。

 それではとてもじゃないけれど、「今度の休みに熱海にでも行こっか」などという気軽な行楽地とは言い難い。