“Lafcadio Hearn: A Writer Unique in American Literature,” New-York Tribune, October 1, 1904, Chronicling America, Library of Congress.)
(*筆者による日本語訳)

さらに怪談の収録作について、同記事は具体的にこう評している。

これらの物語の本質的な性格においては、ヘルン自身が発明したのではないかと感じずにはいられない。「外交」という物語などは、東洋的精神を見事に体現している。このような物語は東洋においてのみ書かれうる。ヘルンはそれを書くことに喜びを覚えたに違いない。(同上)
(*筆者による日本語訳)

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ここで「ヘルン自身が発明した」という表現は批判ではなく、彼の独自の創造性への賛辞として文脈の中で使われている点は重要だ。

三紙三様だが、いずれも一致しているのは、怪談を高く評価しているという事実である。「幼稚」という評価は、少なくとも当時の英語圏メディアには存在しない。

“八雲の死後”すぐに奔走したビスランド

では、実際にビスランドが『怪談』をどう評価しているのか。手がかりは1906年刊行の『ラフカディオ・ヘルン書簡集』第1巻にあった。

ここで、ビスランドは、こう記している。「『怪談』の中に『ひまわり』という小さな物語がある。これはヘルンの少年時代を垣間見せてくれるものだ」と述べ、その後こう続ける。

この素朴な物語には、後の人間ラフカディオ・ヘルンの父となる少年の本質を、最も鮮明に示す示唆が詰まっている。細部への鋭い観察力、音・表情・色・匂いへの震えるような感受性、深い優しさへの激しい情熱、そして何よりも怪奇なもの、不思議なものへの芽生えたばかりの関心。後者がすでにいかに大きな位置を占めていたかは、彼の死後に発見された自伝的断片からうかがえる……。

[Elizabeth Bisland, The Life and Letters of Lafcadio Hearn, vol. 1 (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1906), Chapter I. Project Gutenberg.]
(*筆者による日本語訳)