八雲の情熱的な愛を拒絶した点から見ると、ビスランドに対して「やな女性だなあ」という感覚が拭えないが、史実のビスランドはむしろもっと複雑で食えない人物……ともあれ、文学面では最大の理解者だったといってよい。なにしろ、彼女は八雲の死後すぐに、その業績を残さねばならないと決意し伝記と書簡集の編纂を始めている。これにあたって、ビスランドは数多くの書簡の収集に奔走し1906年には刊行にこぎつけている。

八雲一家が感じた“ビスランドの誠実さ”

ただ、問題だったのは「ヘルン自身が無視してほしいと思うであろう細部はすべて意図的に除いた。そのような詳細を掘り起こすことは一種の粗野な好奇心に見えるからだ」として、ビスランド視点で、都合の悪そうな部分は取り除いたことだろう。

[Elizabeth Bisland, The Life and Letters of Lafcadio Hearn, vol. 1 (Boston and New York: Houghton, Mifflin and Company, 1906), Chapter I. Project Gutenberg.]

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死んだらすぐに動き出したビスランドの様子をみると、著名人の没後の「待ってました」とばかりに追悼本を出す出版社か? と見えなくもない。でも、セツを始め小泉家の人々はビスランドには好意を持っていた。

理由はまず、その書簡集の収益を小泉家に渡したからである。これはビスランド自身も描いているし、長男・一雄も、印税は母に送られたとあるから間違いないだろう。

そしてなにより、八雲の死後、英語圏では一雄の筆によれば「出鱈目のインチキ本」が多数出版されていたことで、ビスランドの仕事の誠実さが伝わったことが大きかった。

とにかく現代の追悼本のように、八雲の死を待ち構えていたかのように筆を走らせるヤツらは確かにいた。一雄が非難する「インチキ本」の著者の一人がフィラデルフィアの眼科医であるジョージ・ミルブリ・グールドの出版した『ラフカディオ・ヘルン論(Concerning Lafcadio Hearn)』である。グールドはかつて八雲が親交を深め、その後決裂した人物ゆえに内容は八雲を貶めるかのごとく批判的……いや、完全に誹謗中傷である。