「日本人の婿殿が本当にきてくれた」

 私たちの結婚の仕掛け人、長老イニューツァッソワは、

「日本人(ヤパニミユー)の婿殿(ニガオ)が本当にきてくれた」

 と満足顔だった。長老はシオラパルクに日本人の婿がほしいと、以前から話していたのだった。小柄だががっしりした体格のこの長老は、若いころ政府機関に勤めたり、教師や宣教師をしたり、各国の極地遠征隊のガイドを務めたりしていて、村きってのインテリでもあった。単なる狩りのキャンプ地にすぎなかったカゲッドアッホーにKGHの店を誘致し、人を集める基をつくったりしたのも彼だった。いわばチューレ地区の父である。父といえば、彼の父親はウッロガヤ(星)という名うての猟師だった。その血を引いたか彼も往年は名ハンターとして鳴らしたらしい。シオラパルクで初めてポンポン船(焼玉エンジン船)を買ったのも彼だったという。そんなところから人々は、彼のことを「カウッナ」(キャプテン)と呼んでいた。

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 長老の日本びいきは、双眼鏡にはじまる。昔、旧式の望遠鏡さえ珍しかったところへ、どこをどう流れてきたか双眼鏡というものが入ってきた。非常に便利なので感激させられたが、それが「ヤパニ」製だったというのである。その後、雑誌でたまたま日本人の写真を見たときは、「わしらにそっくりではないか!」と驚いた。そこへ初めての日本人としてあらわれたのが、植村さんだった。現実の日本人は、長老のイメージどおり、いやそれ以上だった。

「カッドナ(白人)とちがって日本人(ヤパニミユー)はわしらと同じものを食い、同じように生活する。日本人は本当の仲間だよ」

「セックスが開放的だから…」

 イニューツァッソワは植村さんに養子になってくれるよう頼んだ。

 エスキモー社会では、養子縁組は珍しいことではない。子供が成長して独り立ちしていくと、小さな子を養子にもらって育てたりすることがよくある。セックスが開放的だから、私生児も少なくないし、きびしい自然環境だから親に早く死に別れる子もある。とにかく村全体が一族のようなものだから、わりに気軽に養子縁組ができるのだった。

 植村さんはもちろん承知して養子になり、長老夫婦のことを「アタータ」(お父さん)「アナーナ」(お母さん)と呼んで大事にしていた。そんないきさつで、長老イニューツァッソワには私も何かとお世話になっていたのだった。奥さんのナトーも、いつも笑みを絶やさないやさしい女性で、本当に似合いの夫婦だった。