赤ん坊の命名法
1月29日、初めての子供が生まれた。女の子で、私の母の名をもらって、トクと名付けた。トク・マノミーナ・ラシミーナ・大島。マノミーナは亡くなったアンナの母の名である。エスキモーには亡くなった人の名を新生児につける風習がある。それによって、死者が新しく生まれ変わることができるというのだ。ラシミーナというのは、トクの誕生直前に亡くなったラシムシ老人の名を女性名に変えたものだ。というのは、アンナがお産前に、そのラシムシ老人が腹の中へ入って来る夢を見たからである。
カナックの病院でお産をし、1週間ほどで退院した。その日はたしかマイナス30度ちかい寒い日だったが、私は犬橇にアンナと赤ん坊を乗せてシオラパルクへ向かった。カナックに住んでいるカーックッチャー老夫婦が、心配してついてきてくれた。途中、何度も犬橇を脇へ寄せてきては、「赤ん坊は大丈夫か?」「冷たくなってないか、さわってみろ」と、声をかけてくれる。この往年の名ハンターは、ふだん言うことが辛辣すぎて敬遠されがちなのだが、その心根はじつにあたたかいのである。
子供が生まれるとすぐ、村の教会で簡単な洗礼式をする。牧師が台帳に記録する。もちろん自治区へも届け出て、パーソナル・ナンバーがつけられるわけだ。デンマークではすべての国民にパーソナル・ナンバーがつけられる。
アンナの2回目のお産がたいへんだった
その2年後(1977年)、アンナの2回目のお産がたいへんだった。肺炎を起こして、ヘリコプターでカナックへ運ばれた。呼吸困難に陥って、酸素吸入しながら、なんとか子供だけでも助けようと、促進剤の注射によってお産がなされた。男の子だったが、7カ月の未熟児で、ガラス箱に入っていた。一見したところ、とてもまともに育つとは思えなかった。正直にいって子供は半ばあきらめ、アンナの命のほうを心配したが、アンナは幸いにもちこたえ、徐々に回復してくれた。
赤ん坊のほうは、生後1週間たらずで、医師とともに飛行機でデンマークへ送られていった。完全な設備のあるところでないと、生き延びられないと判断されたからだった。結局、コペンハーゲンの病院で3カ月間育てられた。
名前はヒロシ。日本への届けには「海」の字をあてて出した。
たまたま、この地域では久しぶりの男児誕生だったから、その間に亡くなった3人の男の家族に、名前をもらってくれるように頼まれた。ケケッタソワ村で心臓麻痺で死んだタッチャングア、チューレ基地で車にひかれて死んだカナックの若い猟師マッシャングア、カナックの若者カーリャグアは自殺―こう並べるとなかなか壮観だが、名をのこすことでその人たちが浮かばれるならば、よかろう。功徳である。
結局わが息子は3人の名を受け継ぎ、海(ヒロシ)・マッシャングア・タッチャングア・カーリャグア・大島という、長々しい名前をもつことになった。
