かたや、焼き鳥店の息子として生まれ、料理一筋の道を歩んできた笠原将弘さん。かたや、サラリーマンを経て、妻の実家である日本を代表する料亭を継ぐという、異色の経歴を持つ村田知晴さん。異なる道を歩んできた二人が、「週刊文春」の人気連載「笠原将弘のご自愛めし ちゃんと食ってるか!?」の書籍化(文藝春秋刊)を機に、料理人としての哲学から、プライベートな悩みまで、存分に語り合いました。(全3回の2回目/つづきを読む

撮影 志水隆/文藝春秋

「気づいたら、メディア担当みたいになっちゃって」

笠原将弘さん(以下、笠原) この前、清水ミチコさんとの対談で「日本料理といえばやっぱり京都なの?」と聞かれて、それはやはりそうでしょうと。京都の料理界は繋がりがすごいよね、同世代の人たちもね。

村田知晴さん(以下、村田) 外の料理屋さんからいろいろサジェスチョンをいただけるのが京都のいいところといいますか、うまく仲間に入れていただけたので、すごくありがたいことです。もちろん大将のバックアップがあった上での話なんですけど、そうですね、ラッキーです。いろんな人たちに助けていただいて。

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笠原 うん。

村田 僕はいまこの時間もものすごくラッキーだと思っていて。失礼ながら、浪人生のときに地元・群馬のTBSで「王様のブランチ」をずって観ていたので、以前「日本料理アカデミー」(「菊乃井」3代目・村田吉弘さんが主宰するNPO法人)の集まりで初めて笠原さんにお会いしたときに、「テレビに出てる人だ」って(笑)。

笠原 気づいたら、メディア担当みたいになっちゃって。あのときはいっぱいテレビに出てて、お店の宣伝になればいいなあという気持ちでやってました。自分でもわかってるんですけど、料理界でもそういう担当じゃないですか、ちゃらちゃら系の。

――ちゃらちゃら系ではないです。

笠原 自分ではそう思ってる。役割分担というものが昔からあって、料亭にはきちんと日本料理を守ってもらわないといけないし、俺にはね、絶対無理なわけですよ。もちろんうつわも掛け軸も好きだけれども、じゃあこれを維持してきちんとやっていけるかっていったら、俺にはそういうのはできない。

 

 ただ料理は好きだから、料理屋の仕事は続けるけど、おかげさまでいまだにニーズもあるし、どちらかといえばテレビでは話ができるほうだから、まあ出演するじゃないですか。いつの時代もね、そういう担当もいなきゃいけないと思うんですよ。大将だって、「郁恵・井森のお料理BAN!BAN!」とか、出てらっしゃったもん。「きょうの料理」とかさ。いつの時代も一般の方たちに料理を伝えるっていう役割を担う人もいないといけないし、きちんと料亭を守る人もいて、それぞれが一番得意なことをやって、その業界が盛り上がればいいなと思っているから。テレビを観た子が、それがきっかけで料理人になりたいなと思ってくれれば、料理界の発展になるのかなと。僕はもうここまできたらね、この役割を全うしようと思ってね。そういう気持ちでやってますよ。