週刊「婦女新聞」5月31日付では、日本女子大教授などを務めた婦人運動家・高良とみ(ペンネーム富子)が「こうした事件の起こる根拠は社会の退廃した享楽制度にある」と指摘。「芸娼妓制度、一定の女を性欲の道具として扱い、ただれた性生活を強要する制度が女を損ない、男をも誤らせる」として「犯罪貯水池 蓺(芸)娼妓制度を葬れ」と訴えた。
さらに「この事件に対する新聞の態度は全く醜悪です」とメディア批判に転じ、「言論の自由が抑圧されて、他の民衆の生活に重大な問題については何も書けないから、エロの方面にばかり堕落するようになるのでしょうが」と「時局瞥見」同様、痛いところを突いた
「むしろ得意げに陳述」
阿部定は1936年6月13日、殺人と死体損壊の罪で起訴され、予審に付された。旧刑事訴訟法で被告を公判に付すかどうかを判断するため予審判事が審理する制度で、弁護人が立ち会わないので悪評が高かったが、伊佐千尋「予審調書が語る阿部定の愛と性」=「文藝春秋スペシャルイシュー88『昭和』の瞬間」(1988年)所収=は「阿部定事件に関する限り、調書の記載はかなりの真実味があるように思われる」と言う。
担当の正田光治判事が8回にわたって尋問。生い立ちから流転の人生、犯行に至るまで、定は驚異的な記憶力で供述し、「何ら隠さんとする様子を示さず、むしろ得意げに自己の犯行その他を逐一詳細に陳述せるがごとし」と検事も驚いた。粟津潔・井伊多郎・穂坂久仁雄『昭和十一年の女 阿部定』(1976年)は「実に見事に語られ、通読する者の心を捉えて離さない」「供述書という形式を借りた、定の遥かなる叙事詩とでもいおうか」と絶賛した。
確かに告白文学と呼べる迫真力があり、「エロ本」としてひそかに持ち出されて印刷され、売買されたというのもうなずける。『どてら裁判』は「その記録を見る前に、記録を預かっていた書記はもちろん、その他の人が相当数見たとみえ、記録には手あかがついていた」と書いている。その予審調書から定の生い立ちを見よう。(つづく)
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