「ここに、お父ちゃん、生きてたんや」藤岡さんが取材中に言葉を詰まらせた場面

 凄惨というほかない戦争トラウマ兵士との生活を、きわめてフラットな口調で語ってきた美千代さん。唯一、言葉を詰まらせたのは、父の軍歴調査の際、ロシア側が保有していた新資料に出会ったときのくだり。

 シベリアに抑留されていた兵士は、何か所かの収容所に移動させられることもあった。その際、健康状態を調べられ診断書が作成されたことがあるようだが、美千代さんの父のものも残されていた。ロシア語でタイプされた書類に視線を落とすと、

「古本石松って。漢字で署名がありました。その、文字を読んだとき……ここに、お父ちゃん、生きてたんやって」

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 戦争が押し付けてきた抱えきれない衝撃を、父は子どもにも押し付けた。小さな身と心を引き裂かれる思いをさせられたその子は、半世紀を経ても、直筆の、父の息遣いに会えた瞬間、あふれる涙をとめることができなかった。これが、親子なのではないだろうか。戦争がなかったら、違った関係があったはずだ。

藤岡さんの父がシベリアで入院していたヤクドニア病院。現在は廃屋になっているという(藤岡美千代さん提供)

「平和な時代に生きていたら…」布でぐるぐるまきの父の写真を持ち続けるワケ

 母が亡くなって遺品整理をしていたときのこと。美千代さんは和箪笥の引き出しの奥から、下に向けてしまわれた写真を発見した。数十年はそのままであったらしい。オモテに返すと、海軍帽をかぶった、若き日の父の写真だった。それ以上、見つめることはできなかった。

 兄妹の誰も見たことのなかったモノクロの兵士の写真は、すぐに布にくるんで目に触れないようにした。だが今、美千代さんの家の、家族写真が並ぶなかに、布で覆われたままそれは並んでいる。

 写真は、家族会の一員として厚労省へ向かうときにも「連れていった」。大阪から東京へ向かう新幹線の窓辺に置かれた、布でぐるぐるまきの写真へ美千代さんは話しかける。

「あんたの時代にこんな新幹線なんかなかったよね、とかね。あんたのことで国と交渉するからなと、あんた、よく聞いとけよっていう感じでね」

 新幹線の車窓から、遠くに山が見えてきた――写真の兵士と、その娘は同じほうを向く。

「お父ちゃん、ほら、あれが富士山やで、って。平和な時代に生きていたら普通に一緒に観られたなって」