70歳に入って初めた勉強
島倉は年齢を重ねるにしたがい、それまでに築き上げたキャリアやイメージに縛られることなく、時代に合わせて少しずつ変化をすることを楽しんでいたようだ。70歳を前にした2007年からは簿記など経理について勉強を始めている。それまでお金のことはわからないからといっさい人任せにしてきたのを、友人から叱られたのがきっかけだという。同年5月に事務所を解散して以降は、経理に関することを含めて島倉自らチェックするようになり、それまで自分の預金通帳を見たことすらなかったのが、銀行のATMへ足を運んで通帳記入や送金を生まれて初めて経験した。
ATMの操作を間違え、後ろに並んでいる人にも申し訳なくて落胆しながらも、やり直すうちにだんだん慣れていったらしい。そうした経験から《強くなりましたよ。あきらめなくなりましたもの。わからないなら、わかるまで調べる。あきらめない。私、なんだか、生まれ変わったような気持ちなんです》と当時のインタビューでうれしそうに語っていた(『ゆうゆう』2008年5月号)。
とはいえ、別の取材記事では《いつも首の皮一枚の状態は変わっていません(笑)》とも口にしていた(『週刊文春』2009年8月13・20日号)。実際、このあと2013年に75歳で亡くなるまでの彼女について調べてみると、またしても金銭トラブルに巻き込まれていたのだろうかと臆測させるような話もちらほら見つかる。
晩年は肝臓がんでひそかに闘病を続けながら活動を続けていた。遺作となった「からたちの小径」は亡くなる3日前、ディレクターにさえ知らされないまま、作曲した南こうせつらが機材を自宅に持ち込んでレコーディングが行われた。このとき島倉は椅子に座ったまま、しかも人から背中を支えられながら歌ったと伝えられる。
何度となく苦境に立たされ、財産を失い、ときには死ぬことまで考えるほど追い詰められながらも、そのたびに島倉は立ち直り、歌い続けてきた。最後のレコーディングはそんな人生を象徴するようだ。そのとき彼女の胸中にあったのは、自分には歌う以外にないという一念であったのだろう。幼い頃に大けがを負って心を閉ざしながらも、歌によって救われた彼女はそれに報いたい、ただその思いで歌い続けてきたような気がしてならない。
■本文中に挙げた以外の参考書籍
島倉千代子『花のいのち』(みき書房、1983年)
島倉千代子『島倉家 これが私の遺言』(文芸社、2005年)
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