寿産院の悪行が世間に知れ渡ると、市民は怒りに震え、「鬼夫婦に一切、食事を与えるな」と多くの群衆が留置先の早稲田警察署に猛抗議に出向いた。対して、主犯のミユキは警察の取り調べに平然と答える。

「後の補給の目当てもないのに、母親は無理に預けていってしまうんですから、死ぬのは当然でしょう。私は誠心誠意の保育をやってきました。なんらやましいことはありません。親と私、いったいどっちがひどいんですか?」

 また、逮捕から6日後の1月21日には読売新聞の取材に筆談で応じ、改めて心境を述べた。

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事件を知った子供の母親たちは⋯

「補給がないことから、食事を減らざるをえず、その結果、子供たちが死んでいくのはよくわかっていました。はじめのうちは恐ろしかったが、毎日のように死んでいくのを見ているうちに、だんだん慣れて別に何とも思わなくなりました。犯した罪のつぐないのためには、たとえ死刑にされても恨みません」

 開き直りとも言える発言だが、寿産院に預けられた子供のほとんどが「日陰の子」で捨て子同然だったのもまた事実。

 実際に我が子の安否確認に訪れた母親はごくわずかだった。その中の1人で、喫茶店経営の27歳の女性は寿産院の3畳間に並ぶ8人の乳児の中に我が子がいることを確認、子供を抱いて横浜の実家に戻ったという。

 ちなみに、この女性は交際していた男性との間にできた子供を出産したものの、男性に捨てられ、親にも相談できなかったため、事件発覚前日に寿産院に我が子を預けたばかりだったという。

 その後、寿産院とは別に新宿区戸山町の淀橋産院でも貰い子61人が栄養失調により死亡していたことが判明。さらに文京区本郷の長谷川産院で妊娠した子供の処置に困っていた女性十数人に堕胎手術を行っていたことがわかり、同院院長が戦後初の堕胎罪で起訴される。