「私は冤罪。よく考えてよ」

 夫婦は控訴し、1952年4月28日、東京高裁は一審判決を破棄しミユキを懲役4年、猛を同2年に減刑。上告審でも最高裁は高裁判決を支持し、刑が確定した。

 その後、ミユキは石鹸・クリーム・魚の行商を始め、1969年(当時73歳)には東京都内で不動産屋を経営(夫の猛とはこの時点で死別)。

 同年6月発行の『週刊新潮』の取材を受け、次のように語っている。

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「まず言っておきたいのが、私は冤罪です。その汚名を晴らすために今まで頑張ってきたんです。絶対に子供を殺したりはしなかった。殺すというのは、自分で子供の首を絞めるとか手を下すということでしょう。そんなこと絶対にしてませんよ。

 いや、子供は確かに死にました。しかし、できるだけ食事もやったんです。医師にも診せた。それでも死んだんですよ。なにも当時うちの産院だけで乳児が死んだんじゃないでしょ。あそこの家でもこっちの家でも、食べる物がなくて死んだんじゃないですか。

 まして、捨て子同然に預けた子供じゃないですか。預けっぱなしで産院をのぞきに来た親なんて1人もいやしませんよ。それを、事件だと騒がれるようになってから、私の子をひどい目に遭わせてなんて言ったりする。不義の子を産んで、しようがなくて捨てるように持ってきた子ですよ。どっちがひどいんですか。私は冤罪。よく考えてよ」