こうした実態が明らかになるにつれ、政治家や有識者から「問題を解決するためには、戦時中の“産めよ増やせよ”の思想から脱却し、堕胎を認めるしかない」との意見が多数出された。

事件は政府まで動かした ©getty

 結果、政府は同年10月に堕胎罪の例外を認める優生保護法を施行、人工妊娠中絶が実質的に合法化されることになる。

懲役は⋯

 殺人罪で起訴された石川夫婦の裁判は1948年6月2日から東京地裁で始まった。罪状認否で両被告ともに殺意を否認、ミユキは助手に任せきりだったと監督不十分のみを認めた。

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 8月20日、保釈が認められ夫妻は閉院となった寿産院の家屋に帰宅。9月3日、論告求刑公判が開かれ、検察は1946年4月から1948年1月まで84人が死亡、うち27人は殺人の証拠が明確と主張し、ミユキに懲役15年、夫の猛に懲役7年を求刑する。

 判決は10月11日。裁判所は検察が立件した27人の乳児のうち22人は証拠不十分で無罪としつつ、5人については石川夫妻が共謀のうえで栄養失調に至らしめて殺害した不作為犯と認定し、ミユキと猛にそれぞれ懲役8年と4年を宣告。

 その他、ミユキの助手として殺人に関与したとして起訴されていた助産師の女性(同25歳)については、度々ミルクの増量を訴えるなど最善を尽くしたと認め無罪を言い渡した。