私がここで強調したいのは、遺骨収集が行われるガマや森という場所がこれまで述べてきたような沖縄戦の被害と加害の記憶が堆積した場所であるということだ。日米の軍隊による何層にも積み重なった被害、“集団自決”による被害の中の加害、それらが複雑に絡まり合った場所として人々に記憶され、文字に書かれているという事実だ。その一方で一切語られず、文字に残すことのできない出来事があることも私たちは忘れてはならない。
そのような事実を前提とした上で具志堅さんは現場に立っている。
遺骨が残されている可能性がある場所
現在、名前が付けられているようなガマから遺骨が発見されるのはほとんどない。その大部分は戦後数十年かけてすでに収集されているからだ。もちろん100%完全に収集されているわけでもないだろう。岩の隙間に残された骨片、長年の土や砂の堆積によって埋まってしまった遺骨が残されている可能性は十分にある。しかしそれらを見つけるには、根拠がある証言や記録などがなければ雲を掴むようなことになりかねない。だから具志堅さんをはじめ沖縄で遺骨収集をする方たちは、残された文献を頼りにしたり、沖縄戦の体験者の記憶や証言を基に収集を行う場所を限定していかなければならない。もちろん、沖縄戦から80年近くが経過している以上、収集活動そのものが遺骨が見つかる可能性が低いという前提から出発する必要があるのだが。
では、そんな状況の中でも遺骨が残されている可能性がある場所とはどんな所か?
おのずと行き着くのが、山や森や海岸線に点在する小規模のガマだ。ガマというよりは、岩と岩の間にできた数人が身を寄せ合うことのできるちょっとした空間である場合も多い。入り口が狭く出入りするのが困難であっても中に入れば立つことができる場所もある。形状は細長かったり、岩が屋根のように覆われていたり、縦穴だったり様々だ。広さはシングルベッドぐらいの狭いものから、広いと10畳ほどの部屋のような場所もある。兵士は籠城戦を展開したり一時凌ぎの退避場所として用いたかもしれないし、住民であれば家族や親戚たちみんなで身を隠していたかもしれない。最期には米軍から攻撃を受けたり、人知れず力尽きたり、“自決”を選ばされた人々も多くいたはずだ。その人たちの遺体は未だその場所に放置されたままになっている。