4/5ページ目
この記事を1ページ目から読む
懲役は⋯
1956年4月5日、裁判所は検察側の無期懲役の求刑に対して、「心神喪失の事実の存否について非常に強い疑いがあるときは心神喪失の事実の不存在が証明されない限り右犯行当時心神喪失の状態にあったものと認める外ない」として、住宅への住居侵入罪・尊属殺人罪・殺人罪は無罪、物置小屋へ侵入した住居侵入罪は懲役6月(執行猶予2年)とする判決を言い渡す。
これを受け、鉄次は2年4ヶ月間にわたり拘置されていた弘前拘置支所から釈放された。
一方、検察は判決に不服を申し立て控訴するも、1958年3月26日、仙台高裁秋田支部は控訴を棄却。検察側が上告を断念したため、正式に無罪が確定した。
一審判決後、自由の身となった鉄次は出迎えてくれた次兄と妹とともに実家に帰郷。次兄とともに実家のリンゴ農園を継ぎ32歳のころに結婚、晩年には3人の孫にも恵まれて、地区の自治会長、農業協同組合の顔役などを務めるまでになった。
