「秋子と知り合いになってから…」
削除された68字は、心中相手が秋子だと明らかになった後、有島家から公表され、各紙に載った。
秋子と知り合になつてから段々暗くなりつゝあつた人生観が一時に明瞭に輝きましたそれで充分です
8日発行夕刊の各紙は評論やコラムでも取り上げたが、早くも受け止め方はバラバラだった。國民の「國民評論」は「恋のために死ぬる。何たる美しい言葉であろう」「彼は美の神に一身を捧げた人であると言っていい」としつつ「有産階級の思想家が観念の遊戯にふける時、いかに美しき夢が描き出されるかに驚嘆するとともに、これを現実の社会に当てはめんとする時、いかに多くの幻影を生ずるかにも驚き、かつ戒める必要がある」とやや複雑。比べれば、報知の短信コラム「その日その日」が「有島武郎君は情死した。当人はさだめし満足であったろう。余計な詮索をせずにソッとしておきたい」がスッと胸に落ちる気がする。
東京朝日(東朝)の短信コラム「今日の問題」は「農園を小作人に分かち与えたり、私有財産約50万円(現在の約3億5000万円)を投げ出して借家住まいをしたり、ちょっと文壇で変わったことをした有島武郎氏はまた変わった死に方をした」「心中の相手の女性は有島氏の芸術と思想に共鳴したものであるという。女を得て命を与えた。愛は奪うにあらずして与えることであったか」と述べた。
武郎の評論のタイトルになぞらえたのだろうが、まだ事件の全容が見えない段階では「奇行」と捉えるしかなかったか。
全財産放棄と、農場の無償解放
社会主義やアナーキズムに関心を持っていた武郎は事件前年の1922(大正11)年、雑誌「改造」2月号に「宣言一つ」を発表。プロレタリア階級の勃興は当然だが、自分はブルジョア階級だから無縁だと“宣言”した。その後、全財産を放棄し、父から受け継いだ北海道の450ヘクタール(東京ドーム約96個分)の農場を無償解放して小作人の共有財産とすることを公表。実際に手続きに着手した。
母親の生活費だけを残し、自分は借家生活をするとも公言。新聞でも大きく取り上げられ「富める者の悩み」「好いお道楽」などと論議を呼んだ。東日の初報で有島生馬が「家屋敷を売りに出した」(#1参照)と言っているのはそのことだ。
では、武郎と秋子は、どのようにして惹かれ合ったのか。(#3につづく)
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