「遅れてきた渋谷系」としての星野源――。
ただ、星野源がある意味で渋谷系を超越した点は、その大衆性にあったと思う。彼の「趣味のよさ」は(一部の渋谷系のように)、ツンと澄まして聴き手を遠ざけるものではなく、むしろ大衆に開かれる方向に寄与する。
そして『YELLOW DANCER』から直接的に想起した「あるアルバム」とは、小沢健二『LIFE』(94年)だ。「もっとも開かれた渋谷系」という感じのアルバム。かつ、私のくたびれた20代後半を彩ってくれた重要な一作。
でも「開かれ度合い」でいえば、『YELLOW DANCER』は『LIFE』と張る。『LIFE』の1曲目『愛し愛されて生きるのさ』と『YELLOW DANCER』の1曲目『時よ』は、私にとって等価、そして同義だった。
その後の星野源の作品の中で、個人的なフェイバリットを挙げれば、『Family Song』(17年)である。日本発のソウルバラードの傑作といっていいだろう。
黒人音楽をマニアックかつ求道的に追求してきた日本人音楽家の先人たちは、神格化の反動として、結局独自世界を確立できず、単なる痛い物まね(失礼)に終わってしまっていた。
しかし『Family Song』を聴いて、星野源なりのアレンジとミックス、さらには「趣味のよさ」によって、この国にベストマッチなソウルバラードがいきなり確立したと感じたのだ。
期待を「蹴り飛ばす」星野源が見たい
星野源との出会いから10年を超えたが、人気も実力も、相変わらず高値安定、長期安定政権である。音楽家だけでなく、俳優としても成功し、今や「国民的存在」といっていい。そのあり方たるや、事務所の先輩の桑田佳祐を想起させる。
こうなってくると、聴き手としても欲張りたくなる。私が思うのは「国民的存在=ナショナル星野源」ではない「個人的存在=パーソナル星野源」の発露である(拙著『桑田佳祐論』にある「ナショナル桑田」「パーソナル桑田」論参照)。