25年のアルバム『Gen』がよかったのは、彼自身が「自分の生き写しみたいなアルバム」というように、「パーソナル星野源」につながる内省性が垣間見えたところだ。同年のベストアルバムだと、各所で話し、書いた。

「ナショナル星野源」もあっていい。でも、アルバム『Gen』や、同年のシングル、その名も『いきどまり』に表れているようなパーソナルな思い・悩み・怒りをもっと聴きたい。

極端にいえば、「国民」の期待を嘲笑(あざわら)い、蹴り飛ばすような「ダークサイド・パーソナル星野源」を。

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そんな期待も込めていいだろう。なぜなら、星野源はもはや、ここから語る、残り3人の「ライバル」を引っ張るリーダーなのだから。

米津玄師の強烈な陰鬱性

米津玄師は91年生まれ。星野源のちょうど10歳年下となる。米津玄師といえば、まずは何といっても18年の『Lemon』だろう。初めて聴いたときに驚いたのは、その陰鬱さだ。

《♪夢ならば》――この強烈に陰鬱な歌い出しが、『Lemon』という楽曲、そして米津玄師という音楽家の魅力を象徴している。

《♪夢ならば》=「ドレミドラ」(キーはGm)というメランコリックなメロディ。《♪(夢ならば)どれほどよかったでしょう》という喪失感に溢れた歌詞(祖父の死をモチーフにしたという)。そのメロディと歌詞の世界にぴったり照準を合わせたような、ねっとりと粘着的な声質。

こちらも妙な言い方になるが、「ヒットチャートが陰鬱を奪還した」と思ったのだ。

もちろん、その陰鬱性は、重苦しい時代の空気とベストマッチしていた。翌19年のKing Gnu(キングヌー)『白日』も相まって、マイナーキーの陰鬱ソングが時代の真ん中にせり出してきた。

そして、星野源に加えて、米津玄師によって、から元気・から騒ぎの「平成Jポップ」がいよいよぷっつんと切り離され、いよいよ過去のものになった気がした。

『Flamingo』(18年)、『感電』(20年)、『死神』(21年)、『さよーならまたいつか!』(24年)、そして宇多田ヒカルとのコラボ曲『JANE DOE』(25年)……。注目したいのは、これら米津玄師の代表作品に立ち込めている独創性、というか、何とも「説明の付かない感じ」である。