具体的にいえば、「まずは売れるかどうかは別として、とにかく自分ならではの独創的な音楽を作りたい!」という意志を感じる。
今から思えば、平成Jポップの商業主義性を支えていたのはタイアップだと思う。テレビドラマやCMとのタイアップによる大量な露出機会がヒット度と比例して、CDが売れに売れた時代。
しかし幸か不幸か、マスメディアのパワーが落ちてきて、テレビも今や「オールドメディア」といわれる始末。そもそもの露出機会が低減してしまった。
そんな中、ネットを通じて、(少なくとも、平成までのマスメディア主導時代に比べれば)民主主義的・草の根的な世評を集めながら、自らの独創的な音楽の力でのし上がり、CDに比べて、利益率が悪いといわれるサブスク時代に君臨した。
「机上で作られた音楽」を超えていく
もちろん平成Jポップ界にも「自分ならではの独創的な音楽を作りたい!」と思っていた音楽家はたくさんいただろう。しかし異なるのは時代である。マスメディアの後ろ盾が崩れつつある中、「自分ならではの独創的な音楽」そのものでしかのし上がれない時代をサバイブしてきた生命力を感じるのだ。4人には。
加えて、とくに藤井風のところで書いた「フィジカル」性も、4人全員に共通して感じられるポイントである。
たとえば、4人のボーカリストとしての実力。総合的な作品性が前面に出るため、ボーカリスト単体として十分に語られていないふしがあるが、全員、歌の実力、つまり音程、声量、表現力……は非常に豊かで、また他の誰とも似ていないボーカルスタイルを確立している。たとえ楽器なし、マイク1本でも、その「音楽主義」を何とか表現しそうな気がする。
今やポップスは、いうまでもなくデスクトップ・ミュージックである。デジタルの中での入力と編集の中で制作されていく。
しかし、そんなデジタルプロセスの根幹に卓越したフィジカルがあるかないか、が問われる時代が来ていると思う。いや、来ているからこそ、彼ら4人の作品が輝いているのではないか、という気がする。
音楽評論家
1966年大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。ラジオDJ、野球文化評論家、小説家。音楽評論の領域は邦楽を中心に昭和歌謡から最新ヒット曲まで幅広い。著書に『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『幸福な退職』(新潮新書)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)など多数。
