「突然変異種にして特定外来種」と感じる理由
先に触れた星野源の「趣味のよさ」は、作品の中でオマージュされた原典音楽を(ある程度)共有できることから感じられるものだ。
しかし米津玄師は、いうなれば突然変異種にして特定外来種。「あの音楽家のあの作品のあの部分から、こう影響を受けて……」という氏素性が(少なくとも私には)説明できない。
もちろん創作活動自体は、過去作品からも十分に刺激されているに違いないのだが、単なる引用を超えて、米津玄師自身がじっくり昇華し、熟成した結果、米津玄師流独創サウンドが出来上がる。さらに作品の音の隅々まで、彼一流の独創性、美意識を張り巡らせている(このあたり、「ボカロP」出身という経緯も影響していると思う)。
結果生まれるのが、あの説明の付かない、でも「恐れ入りました」とひれ伏さざるを得ない楽曲群なのだ。
星野源同様、1曲挙げるとすれば、私なら『死神』を推す。古典落語「死神」をモチーフにしたJポップ、と書くだけで、もうべらぼうに独創的ではないか。
DREAMS COME TRUE「芝浜」、Mr.Children「火焔(かえん)太鼓」、GLAY「まんじゅうこわい」……なんて曲など、あり得ないだろうという話をしている。3時間分ぐらいの独創性を詰め込んだ、たった3分の曲。
米津玄師のプレイリストをスマホでずっと聴いていると、妙な感覚に襲われている。独創性、説明の付かない感じが極まって、何というか、ひどく疲れてくるのだ。ビートルズやはっぴいえんどを聴いて、耳を中和させたくなる。
約60年生きてきて、こんな音楽家は、1人もいなかった。無論、これは褒め言葉である。それも最上級の。
お茶の間の度肝を抜いた藤井風
6歳上の米津玄師の向こうを張る突然変異種としての藤井風(97年生まれ)については、個人的に決定的な「原体験」ならぬ「風体験」の話から入りたい。
それは作品そのものではない。ライブでもない。いや、ある意味で作品でありライブか――21年のNHK紅白歌合戦である。