そして私は、個人的にも、しばらく神棚にしまっていた「ロック」という言葉を取り出して、時代が一巡したと確かめたのだ。

Char、原田真二、世良公則&ツイストで「ロック」を知った世代の私が、現段階、令和の時代に携える最新式の音楽が「ロック」だったなんて、何と素敵なことだろう。「あぁロックだ」「ひっさびさのとびっきりのロックだ」。

「恐るべき子供たち」Vaundy

先に「批評性」と書いたが、つまるところ、Vaundyの魅力は、まさにその批評性にある。「ロックが批評される時代」を批評した音楽――。その結果として、小難しくなるのではなく、ギンギンかつスカスカな「ロック」を打ち出すセンス。

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彼のインタビュー発言を読むと、異常にインテリジェントなことに驚く。洋楽・邦楽の歴史にとても詳しいし、正しくリスペクトしているし、さらには、現在の複雑な音楽シーンを俯瞰(ふかん)する能力にも長(た)けている。「恐るべき子供たち」という言葉を想起させる。

しかし、そういう計算ずくの立場から、出目として90年代にさんざんいじられた、こぶしを振り上げて「オーイエー!」と叫ぶステレオタイプの「ロック」に近いものを生み出すのだから、こんなに痛快なことはない。

息子、いや下手したら孫の年齢の若者の音楽に励まされるなんて。長生きはするもんだと思う。そしてここまで「ロック」とカギカッコ付きで書いてきたのを、ロック――と、そっとむき出しにする。

「売れるかどうか」より優先したいこと

以上、令和の音楽シーンのど真ん中にいる4人の音楽家を見てきた。

彼ら全員に共通して感じるのは、まずは、その「音楽主義」性である。「音楽主義」とは、私による半造語かもしれない。私はよく使うが、他ではあまり見ないのだから。

対義語としては「商業主義」だろうか。もちろん巨大ビジネスを生んでいる4人なのだから、その意味で結果的に彼らは十分に商業主義的なのだが、結果に対する原因、つまりは活動の根源に、非常に高くて強い音楽への意識・志向があるということだ。