新幹線に乗って燕三条駅までやってきて町をうろうろ歩いていたら、気がつくと中ノ口川を渡っていた。駅の周りは実に明瞭に区画整理された新しい町だが、中ノ口川沿いはうってかわって昔ながらの古い町並が残っていた。
そのまま町中を歩いてゆくと、JR弥彦線の燕駅が見えてくる。燕三条駅が開業する前、つまり新幹線以前の“金物の町”燕市の玄関口だ。
そしてふと思う。新幹線、また高速道路や国道も立派に通っているいまならばともかく、昔はこの町から県都・新潟市までどのようにして移動したのだろうか。燕から新潟、生産された金物類から田んぼで採れたお米まで、運ぶものだってふんだんにあったろう。人もモノも、輸送需要は大きかったに違いない。
が、弥彦線は1~2時間に1本程度の列車が走るばかりのザ・ローカル線だ。さすがに昔はもう少し本数が多かったのだろうが、それにしてもわざわざ東三条駅に出て信越本線に乗り換えて、となっては不便に過ぎる。
「消えた新潟交通電車線」廃線跡には何がある?
……などと思って調べてみると、かつて燕と新潟市の中心部は新潟交通電車線によって結ばれていたという。白山前~燕間の36.1km。ほぼ全線にわたって、越後平野を中ノ口川に沿って走っていたローカル私鉄だ。この新潟交通電車線のおかげで、燕の人々は新幹線がなくても、また遠回りの乗り継ぎルートを選ばずとも、新潟市内と行き来することができたのである。
ならば、新幹線がまだなかった時代の気分になって、新潟交通電車線の廃線跡をたどってみようではないか。
