以後、人や貨物の輸送で活躍し、沿線の人々の暮らしを支えてゆく。戦時中には燃料不足でバスの運行が制限されたこともあり、輸送量が急増。その勢いそのままに戦後もお客を増やし、1963年度は年間630万人を運んでいる。この時期には貨物も年間10万トンを超えることもあり、まさに全盛期を迎えたのだ。
一方で1964年の新潟国体に合わせて国道8号の整備が進み、またマイカー通勤が便利な郊外の工業団地の造成などを受け、お客は減少傾向に転じてしまう。道路事情が良くなれば、貨物輸送は自由の効くトラックに切り替わるのが必然。1972年には貨物輸送が廃止された。1982年に新幹線が開業したことも、打撃になったのだろう。
そうした中で、道路上を走る併用軌道で騒音苦情も多かった白山前~東関屋間や末端でお客の特に少ない月潟~燕間が先行して廃止。残った区間の廃止も時間の問題で、沿線の反対運動などもあったものの、甲斐なく1999年にすべての区間が廃止されてしまった。多くのローカル線とほとんど同じ歴史を、新潟交通電車線も辿ってきたのである。
“終点”には、もう何もなかった
かくて地図から消えた新潟交通電車線。中ノ口川が信濃川に合流する手前で、川沿いの旅は終わりを告げる。新大野駅の跡を過ぎたところからは、ハッキリそれと分かる遊歩道。このあたりからはすっかり大都市・新潟の市街地の中だ。すぐ東側には国道8号が通っている。
1970年代、関屋分水路ができたことでルートを変更した平島駅の跡あたりを過ぎると、遊歩道は登り坂になる。交通量の多い県道をオーバーパスし、そのまま関屋大橋を渡るのだ。現役当時の道路を跨ぐ高架橋が、いまも遊歩道として残っている。
その先は、車両基地や貨物ヤードがあった運行の拠点・東関屋駅。その先で線路は県道の上を走る併用軌道に移る。終点の白山前駅は、すぐ隣に新潟総鎮守・白山神社があり、いまは市役所、かつては新潟県庁が目の前に。1985年に県庁が移転するまでは、県庁前駅と名乗っていた。
県庁前=白山前駅が廃止されてから30年以上。ターミナルの面影はどこにもなくなって、その跡にポケットパークが整備されているだけだ。白山神社は変わらずにそこにあり、すぐ北側には新潟の古くからの中心市街地、繁華街が広がっている。
撮影=鼠入昌史



