「それでも隊員たちの士気は旺盛でした。隊の編成当初には、心の乱れを見せた者も一部にはいましたし、死を目前にして悩みがなかったと言えば噓になるでしょうが、あとはみんな張り切って立派にやっていましたよ。最善を尽くして死ぬのは本望、淡々と順番を待つ。私自身の思いは、出撃したら一人でも多くの敵をやっつけてやると、それだけでした。

 まだ若かったですから、生きるの死ぬのということはあまり深刻に考えない。ただ、人に後ろ指をさされまい、士官として、米沢藩士の末裔として、部下に恥ずかしくない態度でありたい、という気持ちはつねに持っていましたね」と、湯野川は回想する。

「陛下が国民に頑張れとおっしゃるのだと」

 6月の沖縄作戦終了後、七二一空は本土決戦に備えて各地に分散配備されていた。湯野川は、桜花隊の先任分隊長として石川県小松基地で終戦を迎えた。

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「8月15日まで、私は戦争が終わるとは思ってもいませんでした。本土決戦に備えて、やがて配備される桜花二二型をスピードの速い陸上爆撃機銀河に積んで戦うと思っていた。天皇陛下の玉音放送も、ソ連が参戦したのを受けて、陛下が国民に頑張れとおっしゃるのだと思っていました」

 搭乗員を、宿舎にしていた寺の庭に整列させたが、ラジオの調子が悪くて聞こえない。

 湯野川は近所の民家に飛び込んで玉音を聴いた。

写真はイメージ ©getty

「戦争終結を告げる内容に衝撃を受け、心中全く穏やかではありませんでした。逆上に近かったと思います。隊員たちに、『戦争が終わったらしいが私には理解できない。今日まで数多くの仲間が血を流してきたのは何のためだ。さらに状況を見たい』と告げて、解散させました」