終戦を受け入れたのは「8月18日」

 さまざまな情報から、終戦になるのが間違いないとわかったのちも、「もしアメリカ軍が上陸して来たら俺の隊で敵の一個師団を引き受ける。敵兵を皆殺しにしてやる」と、なおも出撃態勢を解かなかったという。

 湯野川が終戦を受け入れたのは、8月18日、指揮官参集の命令を受けて赴いた大分基地で、第五航空艦隊司令長官・草鹿龍之介中将の、「私は聖慮に従い大命に従う。納得しがたい者はまず私を血祭りに上げたうえで行動されよ。これまで必死で戦ってきた諸官の血祭りになったとて、悔やむものではない。だが私を血祭りに上げず、私が指揮をとる以上は諸官の命令への服従を要求する」との言葉を聞き、その威に打たれたからだった。

 小松基地の七二一空は、最後まで戦う気構えをくずさず、秩序を保ったまま、8月21日、草鹿中将の命を受けて解散式を挙行、3年後の3月21日(桜花隊初出撃の日)午前10時、靖国神社での再会を約して、22日に一斉に復員した。

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目的の分からぬ潜行指令

 8月22日の午後、部下たちを復員させ、水交社(海軍士官の宿泊、集会施設)でひとり暗然としていた湯野川のもとへ、七二一空飛行長足立次郎少佐より、至急基地に戻るよう電話があり、すぐに迎えの車がやってきた。

「司令室に入ると、小松基地指揮官遠山安巳大佐、飛行長足立次郎少佐と、もう一人、連絡にこられた第七二三海軍航空隊(七二三空)飛行長中島正中佐から、君に新しい任務がある、受諾する決心があれば、第二徳島基地に行って七二三空司令・青木武大佐の指示を受けるようにと言われました。まだ私が役立てることがあるなら幸いと思い、夕刻、零戦で小松基地を離陸、徳島へ向かいました」

 七二三空は、艦上偵察機彩雲による特攻部隊として編成されたばかりの航空隊だった。

 司令・青木大佐は戦闘機パイロット出身だが、大尉時代の1年間軍務を離れ、身元を偽り諜報員、つまりスパイとしてソ連のウラジオストクに潜入した経歴を持つ。ここで青木大佐から湯野川に伝えられたのは、「地下に潜行してほしい(姿を消してほしい、の意)」という意外な話だった。