警察は「ある男」を逮捕するが…

 吉野さんはMとの関係を両親に秘密にしていたが、実妹だけには打ち明けていた。後の妹の話によれば、2人が会うときは、いつもMが指定した場所に吉野さんが車で出かけた後、Mの所持する軽トラックに乗り換えラブホテルに行っていたそうだ。

 また、行方不明になる数日前、吉野さんがMに「もう会わないほうが良いのでは?」と言ったところ、Mは吉野さんを崖のようなところに連れて行き、最近小城町(佐賀市に隣接する現・小城市)で起きた交通死亡事故を引き合いに出して脅されたこともあったという。

 警察がMに疑惑を持った理由は他にもある。前述したように、吉野さんは1989年1月25日に家を出た後、武雄市のボウリング場の駐車場で「白のトヨタ・クレスタ」に乗り込むところを目撃されている。が、別の情報もあった。

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 同日20時ごろ、釣り具の製造会社経営者が同じ駐車場で「魚のウロコの模様に似た派手な飾りの付いたトラック」が駐車されているのを確かに見たというのだ。それが、Mの軽トラックだった。

 こうして、警察は1989年11月に別件の覚醒剤取締法違反でMを逮捕し、山林で遺体が見つかった吉野さんを含む3人の殺害(北方事件)について任意の取り調べを行う。対してMはいったん犯行を認める上申書を書いたものの、すぐに「暴行を受けて書かされた」と否認に転じた。

 その後、佐賀地裁武雄支部で覚醒剤取締法違反の罪により、懲役1年6ヶ月の判決を受け、鹿児島刑務所に服役。出所後も福岡県北九州市で包丁を振り回したり、住居侵入や窃盗容疑などで3度逮捕され、2002年には同刑務所に収監されていた。

 同年6月11日、佐賀県警は獄中のM(当時39歳)から改めて事情を聞く。自供は得られなかった。が、警察は同日、吉野さん殺害容疑で逮捕・起訴する(7月2日に藤瀬さん殺害容疑で、9日に中島さん殺害容疑で再逮捕)。