友達に去られたという事実

 そこから、である。機会があれば、私はさまざまな人に「友達との離別経験」を尋ねるようになった。すると思いがけず、ほとんどの人に離別経験があり、それぞれのストーリーはオリジナリティに富んでいた。

 自分の経験から、これは更年期症状に紐づけられる女性ならではの感情かと思い込んでいたが、そうとは限らなかった。10代から80代まで年齢はさまざま、さらには男性でも特別な離別の思い出を持つ人がいた。

 切り捨てホヤホヤのストーリーを語る人は、まだどこか相手への嫌悪感が生々しく、カッカしていた。出来事が過去になるほど客観性が高まり、相手を慮ったり、反省の言葉を口にしたりする傾向にある。一方、自分が切り捨てられた思い出を語る人は、一様に目を伏せる瞬間があった。インタビューを重ねて気づいたのは、友達に去られた経験には、羞恥心のようなものがつきまとうということである。

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「大事にしていた人に去られるほど、私は“ヤバい奴”なのかもしれない、そう考えたら夜も眠れない日が続きました。……今話してて、わかりますか? 私ってどこかヤバいですか? 教えてほしい」

 そう言ったのは幼馴染に去られた30代の既婚女性だったが、強く共感した。私も自分自身の見えざる「ヤバさ」に苦しんでいた。

 友達に去られたという事実を、恥ずかしくて情けなくて、家族にもしばらく話すことができなかったのだ。それはいじめられている事実を親に言えない子どもの心境にどこか似ている気もする。