何がいけなかったのか。あの一言か。原因探しからはじまり、どうすべきだったかとシミュレーションし、悲嘆し、怒り、やがて自分とはどんな人間なのかと問いはじめる。友達との離別経験は、嫌でも内省を迫る。

 が、明快な答えはない。子どもの時とは違って、大人になるとほとんどの相手は理由を教えてくれない。第三者が「……だからだってよ」などといらぬ情報を与えてくることもあるが、それが真実とは限らない。

あの日の笑顔がデジタルタトゥーになるなんて

 なぜ友達との離別は起こるのか。長く続く友達もいるではないか。何が違うというのだろう?

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 人は変わる。人との交わりのなかで、考え方も変化していく。軌道のズレがやがて大きく開くように、友達と離れるのは自然なことなのだろう。……そう達観できればいいが、なかなかそうはいかない。忘れた方がいい、なかったことにしよう、そんなふうにすっきりさっぱり考えられないのは、楽しかった思い出も共有しているから。

 そろそろ心が癒えてきたかな、と思うと、FacebookやGoogleフォトが思い出の写真を一方的に見せてきて、ふたたび瘡蓋を剥がす。あの日の笑顔がこんなデジタルタトゥーになるとは、誰が想像しただろう。

写真はイメージ ©AFLO

 もちろん、時間が過ぎればある程度は忘れることができる。早い段階でさっさと前を向ける人もいる。インタビューした中にも、「時間のムダ!」と言ってのける人がいた。「理由なんてどうだっていい。生き方、価値観が合わなくなった、それだけ!」と。

 そのドライさに憧れつつ、友達との離別におけるあらゆる反応について、文章にして残してみたいと思った。

 インタビューの中には、あなたの離別体験に近いものも、あるかもしれない。出来事を通してあなたは何を考えたか。相手は何を考えていたか。逆の立場から見ることで納得ができるかもしれないし、「どうでもいい」と一蹴するかもしれない。

 インタビューから浮かび上がるさまざまなストーリーは、見る人の立場によって、また時間の経過によっても、印象が異なるだろう。