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その2年前、1898年には南海の線路が和歌山まで達していた。ただ、まだ沿線の開発が進んでおらず、また和歌山に達したといっても紀ノ川の右岸、つまり和歌山市内には入っていない。そうした事情もあって、乗客数は伸びなかった。
そこで起死回生、単独のターミナルであるなんばに加え、天王寺駅への乗り入れを企てたのである。
この時点ではまだ大阪環状線は成立していないが、私鉄の大阪鉄道(のち関西鉄道)によって鶴橋・京橋経由で大阪まで繋がっていた(城東線)。南海はこの城東線を通じてキタのターミナル・大阪駅まで乗り入れて、お客を増やそうと考えたのだ。
実際、開業から1年後には天王寺支線を介して大阪~住吉大社間の直通列車も走りはじめている。運転本数は1時間に1本。現在の都市部の列車本数と比較すればだいぶ少なく感じるが、明治という時代を思えば充分すぎるといっていい。大阪と和歌山は、こうして天王寺支線によって鉄道で結ばれたのである。
なお、天王寺支線は1907年に南海本線とともに電化され、非電化のままだった城東線との直通運転は6年ほどで取りやめとなっている(貨物列車のみその後も運転)。
フェンスに囲まれた“ナゾの空き地”が…
さて、そんな天王寺支線の跡はどうなっているのだろうか。
陸橋の上から見下ろした細い空き地の中を歩ければ良いのだが、もちろんそんなことはできない。だから線路沿いの道を西に辿りながら、廃線跡の様子をうかがうことにする。


