そして昭和40年代に入る前、南海本線と大阪環状線の交差地点に新今宮駅が開業する。それまで南海沿線から大阪環状線に乗り継ごうという人は、天下茶屋で天王寺支線に乗り換えていた。新今宮開業は、そんな天王寺支線の存在意義を奪ってしまったのだ。
そうした状況下で南海天下茶屋駅の高架化と地下鉄堺筋線の乗り入れが決まると、もはや存続の目は残っていなかった。高架になった天下茶屋駅に天王寺支線が乗り入れることはなく、1984年に今池町~天下茶屋間が廃止。残った天王寺~今池町も10年間存続ののち、1993年に地図から消えるのである。
この段階的な廃止は、地元との協議によって決まったものだという(飛田本通駅は部分廃止のタイミングで開業している)。この頃には地下鉄もできていて、沿線のどの場所からもせいぜい10分でどこかの駅に行くことができたはず。そんな中でも天王寺支線の存続が求められたのは、それだけ町のシンボルのような存在だったということなのだろうか。
ともあれ、こうして上町台地の見下ろす西の低地を走った天王寺支線は、90年代初めにその歴史に幕を下ろした。
沿線が田畑だった時代に“梅田進出”という南海の夢を託して開業。その後、沿線にはドヤや飛田新地が生まれ、時代とともに文字通りの下町を走るローカル線に身をやつし、ひっそり姿を消した。
そしていま、南海は目下建設中の「なにわ筋線」によって大阪駅に乗り入れようとしている。その黎明期、天王寺支線を介して大阪駅に直通してから120年。天王寺支線の幻が、形を変えて復活する……などといったら、さすがに言い過ぎだろうか。
(写真=鼠入昌史)





