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かつては“危険な町”などというイメージが先行していたこの町も、いまでは安宿を求める外国人観光客の目立つ町になっている。NPO法人の職員らしい人が何人か立っていたが、危ない雰囲気は感じられない。それがたまたまなのか、どうなのか。
通りすがりのおじさんに話しかけられたので、こちらも天王寺支線のことを尋ねてみる。
「西成は入れ替わりが激しいしな、最近はだいぶ人もおらんくなった。せやから40年前の電車のことを知ってる人なんて、おらんのちゃうか」
フェンスの向こうはどうなっているのか。
「野菜やらを育ててるらしいで。誰がやっとるのかは知らんけどな」
続けてこのおじさん、「平松(市長)がいらんことしよってから西成はあかんようになってしもたわ。橋下が市長になってからはなあ……」と、政治に絡めた愚痴が止まらない。その時々の政策の是非はともかく、こうした町ほど政治がダイレクトに影響を及ぼすものなのだ。天王寺支線も、きっとそれぞれの時代ごとの濃密な空気を抱えて走っていたことだろう。
33年前に消えた「決定的理由」
ただし、天王寺支線そのものの命運は、政治とはそれほど関係の無いところで揺れ動いてきた。
昭和30年代には堺筋から北上して梅田に繋ぐ……という計画が練られたこともある。だが、同時期に阪急千里山線(現在の千里線)と地下鉄を延伸させて天下茶屋に繋ぐ計画が持ち上がり、天王寺支線の延伸は雲散霧消してしまう。





