「ファクターX」の幻想を捨てよ

「冬コロナ」を乗り越える

岩田 健太郎 神戸大学教授
ニュース 社会 政治
事実を平気で歪曲する菅政権と「空気」が支配する日本社会の危うさ

<この記事のポイント>

▶︎Go Toキャンペーンを打ち出したことで醸し出された「空気」が問題
▶︎日本人が新型コロナに感染しにくい何らかの特殊な要因「ファクターX」は幻想である
▶︎いま必要なのは、正しいデータと情報を正しく読み解き、容易に安心を求めることなく現実と向き合うこと
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岩田氏

醸し出された「空気」が問題

 2020年11月末現在、国内では日々2000人台の新型コロナウイルス感染者が確認され、累計感染者数は15万人に届こうとしています。メディアはこの状況を「第3波」と呼んでいますが、私は「第2波を収束できずに広がってしまった状態」と見ています。

 実は私は6月の時点では、これほどの感染拡大を予想していませんでした。春先の第1波を乗り越えた日本政府は、その経験をもとに対策を講じ、たとえ第2波が来ても最小限の被害で乗り越えられるだろう、と楽観していたのです。

 しかし7月に入ると、私は考えを改め、現在のこの状況をほぼ予想するようになりました。感染者がふたたび増え始めたのに、政府は第1波の経験に基づく対策を講じるどころか「Go Toキャンペーン」をぶち上げ、感染者を減らす対策を一切取らなかったからです。

 誤解してほしくないのは、私はGo Toキャンペーンそのものが悪だと言っているのではありません。私が問題だと思うのは、政府がこのキャンペーンを打ち出したことで醸し出された「空気」です。もう旅行しても大丈夫だ、というヒドゥンメッセージ(hidden message:隠れたメッセージ)を送り、国民に過剰な安心感を植えつけてしまった。あわせてこの時期に、「経済を回すことが大切」と官邸が発信したことで、日本全体のムードが感染対策を緩める方向に傾いてしまったのです。

日本を覆う「空気」の怖さ

 日本人は昔からロジックやデータよりも「空気」で物事を決めてしまいがちな国民性で、往々にして権力者はこの風潮を利用してきました。今回も第1波での外出自粛生活に疲れた国民にGo Toキャンペーンを提示し、「感染対策より経済対策」という空気を醸し出した。もちろん、そこには科学的な裏付けなどありません。

 新型コロナウイルスの特徴は、人間が媒介し、感染した人が移動することにより感染拡大することです。感染が拡大しつつあるときに人々が移動すれば、感染が広がるのは明らかです。それなのに政府はGo Toキャンペーンをするという。現在のこの状況を予測することは、感染症専門医の私でなくても簡単にできたはずです。要するに、政府は「何も考えていなかった」ということなのです。

 感染症に対するビジョンもなければ、科学的なアセスメントも不十分。専門家の意見は自分たちに都合のいいところだけをつまみ食いして利用する――こんなスタンスの政府は、新型コロナの本質的な問題を理解して動いていたとは思えません。そして残念なことに、2020年も終わろうとする今に至ってなお、彼らはこのウイルスを正しく理解していないのです。

 そのことは、日々打ち出される対策を見ても明らかです。Go Toキャンペーンの対象地域を一部除外したりしてはいるが、いずれも分科会からの悲鳴を受けて渋々対応しているように見えます。どれも目先の対応ばかりで、事の深刻さを正しく理解しているとは到底思えません。感染症を本気で収束させていくには、短期ではなく5年先までをも見据えた長期の目線を持つ必要があるのですが、菅義偉政権にその視点を持つ人物はいないようです。

 しかし、そうした政治家を支えているのは、私たち国民です。

 日本では「安全」「安心」という2つの言葉をセットで使うことが多いですが、外国では「安全」は使っても「安心」はあまり使いません。「安全」とは根拠にもとづくものですが、「安心」は気分の問題、という違いがあります。つまり、何事にも根拠を求める外国人と違って、日本人は気分の良さを求める傾向があるのです。

 そんな国民性は、権力者にとってはむしろ御しやすいのかもしれません。Go Toキャンペーンで「自粛生活に疲れたでしょう」「もう大丈夫ですよ」といった空気を醸し出せば、国民は安心感を覚え、政権に信頼を寄せてしまうのです。

 誰だって、厳しい現実は見たくありません。しかし、いま本当に必要なことは、政府も国民も覚悟をもって現実と向き合うことです。国民が「現実はどうであっても、とりあえず安心をくれ」と甘えるのであれば、政権にとっては思う壺であり、新型コロナの収束は遠ざかるばかりです。

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ウイルスは人の移動でしか広がらない

「経済との両立」は逆効果

 政府は「withコロナ」とか「経済との両立」という言葉をよく使いますが、まさにこの言い回しにこそ、政府がこのウイルスを正しく理解していないことが見て取れます。これらはいずれも幻想に過ぎません。なぜなら、新型コロナは徹底的に封じ込め、収束させるしかないからです。このウイルスと共存したまま経済成長するなど、ありえないのです。

 それでもコロナと経済を両立させようとするなら、長い目で見ればむしろ逆効果で、経済を弱めることになってしまうでしょう。コロナが蔓延している中で経済を正常に回すのが不可能であることは、現状を見れば一目瞭然です。

 コロナ禍で打撃を受けている産業は、外食やイベント関連、そして観光業など多くあります。これらはいずれも「人の移動」によって成り立つ業種です。政府がどんな施策を取ったところで、感染が続いている限り、これらの産業を以前の水準に戻すことは不可能です。感染が収まりきらない中で無理やり人を動かせば、また感染拡大してしまう。いつまで経っても外出自粛と自粛緩和を繰り返すだけで、むしろ経済にさらなる悪影響を与えるだけでしょう。

 それなのになぜ、政府は感染収束のための政策に本腰を入れないのか。ひとことで言ってしまえば「そこまでの覚悟がない」ということです。目先のことしか、いや自分自身と取り巻き連中の目先の利益しか考えない政治家たちにとって、長期的な対策など興味ないのです。

 安倍晋三前首相は、緊急事態宣言を出したときに、「これはロックダウンではない」と述べ、強制力を持たない自粛要請であることを強調しました。学校の一斉休校も「命令」ではなく「要請」であることを訴えました。最後の決断を国民に委ねることで、政府の責任ではないことにしようとしたのです。

 現在の菅総理も同様です。ダイヤモンド・プリンセス号の隔離検疫が失敗していたことは国内外のデータで明らかなのにも関わらず、「感染対策は適切にできていた」と繰り返し、適切であることの根拠を何一つ示しませんでした。

 実際は、下船後にアメリカ、カナダ、オーストラリア、そして日本など、それぞれの国に帰国した乗船客の中から、次々に感染者が出ています。船内にいた医療者や官僚も感染している。これは14日間の検疫期間の失敗を意味していますが、加藤勝信厚生労働大臣(当時)は、「感染対策は適切だった」「二次感染は起きていない」と言うばかりでした。

 政治家が「適切」という表現を使いたがるときほど、疑ってかかったほうがいい。安倍前首相の「桜を見る会」の会計処理も「適切に処理されていた」はずでした。東京五輪が開催され、もしそこで多くの感染者が出たとしても、現政権は「感染対策は適切だった」と言って世界を煙に巻くつもりでしょう。

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加藤厚労大臣(当時)

データをないがしろにする政府

「見たい数字」だけを見て、不都合な数字は見ないようにしていることも、現政権の悪弊と言えます。現実からかけ離れた虚像のデータを使って問題を矮小化することが横行しているのです。

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source : 文藝春秋 2021年1月号

genre : ニュース 社会 政治