いささか旧聞に属する話から始めたい。国民雑誌と呼ばれたあの「文藝春秋」の部数にさえ一時は迫ったといわれるスキャンダル雑誌「噂の眞相」元編集長の岡留安則が、2019年1月31日、同誌休刊後移住した那覇で肺がんにより亡くなった。享年71だった。

 岡留とほぼ同世代の私(私の方が一歳年上)は、「噂の眞相」編集長時代、彼の事務所近くの新宿ゴールデン街で毎夜のように飲み歩いた。

東日本大震災が東北の三陸一帯を襲ったとき……

渋沢家三代』(文春新書)の著者である佐野眞一氏 ©文藝春秋

 岡留と年中会っていたのは、「ルル」というゴールデン街入り口近くのおかまバーだった。そこで酔いにまかせて、「今日、生意気な編集者を殴ったよ」などと白状すると、校了間際の岡留はそれを電話送稿し、すぐ最新刊の一行情報にそのまま載せた。各ページの脇に添えた一行情報はあることないこと書き散らした同誌の売り物企画だった。

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「ルル」には後日談がある。東日本大震災が東北の三陸一帯を襲ったとき、私はとるものもとりあえず被災地に急行した。すさまじい光景が続く被災地を歩いているとき、「ルル」のママが三陸出身だったということを思い出した。ゴールデン街の店をたたんでかれこれ10年になるので、故郷で元気に暮らしているという保証はまったくなかった。

 そこで沖縄の岡留に被災地から電話すると、草薙英治というおかま好みの名前で通っていたママの本名ばかりか、実家は確か岩手の大船渡のはずだよと言った。
 大船渡湾を望む高台にある避難所を訪ねると、市の職員が「ああ、おかまの英坊なら外の焚火の近くにいるよ」と親切に教えてくれた。

 これが彼女(?)との10年ぶりの再会になった。開口一番の挨拶はいかにも元おかまバーのママらしくて笑わせられた。

「やっと昨日、米軍が電源車を運んでくれたのよ。助かったわよ。これでひげも剃れて、身だしなみもきちんとできるし」

 この一言で、大メディアが伝える“大文字”の被災地情報とはまったく違うルポができると確信した。これも岡留の情報のおかげだったと今も感謝している。

 この記事で彼女の無事を知った「ルル」の常連だった馴染客たちから感謝の言葉が私に多数あった。