証人・崔を奉天に連れていくために買い与えた「小さな靴」
翌14日、ハルピンに着いて、宮崎少佐に引き合せがすむと、疲れたからここで泊ろう、という崔をせき立てて、再び夜行に乗る慌しさでした。その代り、指環だの時計だの眼鏡など、かずかずの装飾品を購い与えて、歓心の吸収に百方つとめねばなりませんでした。
奴さん、すこぶる恐悦の態で、その日いらい余り足の苦情を訴えなくなりました。言い忘れましたが、足の苦情というのは、チチハルで買ってやった靴に起因しているのです。それは、足よりは幾分小さな靴で、これには魂胆があった。履いて痛がるやつを無理やりに、
「冗談じゃない。これがいま大流行の靴なんだ。奉天じゃこれでなくちゃ幅が利かんことになっている」
とかなんとかうまく誤魔化して、彼の歩行をそれとなく束縛したのです。もし途中で逃げ出すようなことがあっても、自由に走れぬように仕組んだものでした。
ハルピンからは憲兵が2人、私服でこっそりと護衛につきました。隣り合せに席を占めて、油断なく見張ったわけです。
「中村大尉遭難事件」に続く柳条湖事件へ
奉天に着いたのは、15日の夕刻でした。奉天では、初巡視の本庄繁軍司令官を迎えて、市街演習が行われていました。窒息しそうな雰囲気を縫って、一行は、土肥原特務機関へと車を駆りました。
室に入った崔は、同席の花谷少佐と目が合うと、途端にがたがたと顫えだし、逃げ腰になりました。
無理もありません。花谷少佐の面貌は、超特製のしろものです。簡単に言えば、鐘馗様を現代化したようなものと思えば間違いありません。
これでは訊問はうまく行かない、と思った私はとっさの気転で崔の肩を軽くたたいて、
「オイ、オイ、心配しなくたっていいよ。あれは、星(肩章)がたった1つしかないじゃないか。俺は、3つもあるから俺の方がずっと偉いのだ」
と、威張ってそう言うと、崔の表情が幾分か和いだようでした。その夜から崔は、特務機関室で起伏するようになりました。
2ヵ月に垂んとする苦闘から解放されて、わが家での団欒を瞼に描いた私が、夜汽車に揺られて、帰途に就いたのは、17日の深更でした。
その翌晩、奉天西南方の柳条溝に、ぶきみな閃光がひらめいたのです――。
※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。
※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。