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ようやくたどり着いた「事件のカギを握る」人物と事実

 潜伏している、この言葉を聞いた時、私は思わず、しめた! と心の中で叫びました。屯墾第三団に追われている。そのことだけでも容易ならぬものを感じさせるし、その上、潜伏というのですから、ただごとじゃない。私は直感で、この事件のカギを握っているのは、おそらく王に違いない、と思いました。

 とうとう捜しだしました。

 私は疑問の焦点に突進しました。

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「殺されたのは、幾人だ?」

「なんでも日本人が2人に、露西亜人と蒙古人がそれぞれ1人、都合4人だということです」

「殺された場所は、どこだ?」

「蘇鄂公府の附近で、屯墾第三団の兵に殺されたそうです」

「君は、それを誰から聞いた?」

「確かな人から聴いたので、間違いはありません」

 と、まァこのようなわけで、婉曲な言葉といい、垣を設けた態度といい、全体にもやもやしたものがありますが、それ以上のことは我慢しなければなりません。

地図左に中村大尉が遭難したとされる位置が示されている 1931年8月18日東京朝日新聞夕刊の地図

 しかし、これで、中村大尉一行の遭難は、もう動かしようのない事実となりました。

フデ子が語った"馴染み客・王秉義"のウソ

 以上の話でもうお解りのことかと思いますが、フデ子が、馴染み客の王秉義から聴いた、と云ったのは噓で、実は、主人の王から聴いたのち、同胞としての感情と、夫に対する愛情と、そうした2つの相剋が、彼女を一個の狂言作者に仕立てたのです。つまり、日本人としての誇りを傷けぬと同時に、累を夫に及ぼさないよう努めた結果が、王秉義の告白という形式になったのでしょう。

 私は、直ちにこの旨を宮崎少佐に報告すると、今度は、証拠の蒐集に着手しました。

 捜査本部を鎮東に設けて、大勢の蒙古人を目的地へとばせました。というのは、蘇鄂公府と屯墾団とはソリが合わず、すべての蒙古人が、屯墾団に反感を壊いていることが判ったからで――

 蒙古人は、勇躍してそれぞれ任務に就きました。ある者は、兎狩りに化け、またある者は牧夫を装い、終日終夜、涯しない草原を泳ぎ廻ったのです。それには、民族的確執もあるにはあったが、証拠品に賭けられた賞金の魅力も、確かに大きな役割りを果したように思っています。