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遂に目撃者を探す

 日本人側の活躍がどこからとなく漏れると、奉天政権もまた多数の調査員を送って、事件の究明につとめました。

 しかし、それは、調査でなくて、証拠の湮滅であったことが後になって判明したのですが――。

 もうその頃になると、事件は、特務機関の手を離れて関東軍に移っていたし、軍からは片倉大尉(本庄大将の女婿、中村大尉とは、陸士、陸大を通じて親友)が烈々の闘志を包んで現場に姿を現わしていました。

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 片倉大尉は、証拠物件の蒐集よりは証人の捜査、つまり日撃者を探しだすことに全力を傾けました。これは、案外はやく見つかったのです。

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 目撃者は、その頃、蘇鄂公府の壁修理に来ていた苦力頭でした。郭という男ですが、この男が、中村大尉一行の殺害現場から死体の状況まで具さに目撃した、というのです。

 が、郭は、

「自分には妻子がある。妻子を犠牲にしてまで日本に尽す意志は毛頭ない」

 と頑張り通しましたが、

「じゃ、自分の配下に、崔という親も子もない独り者がおるから、これを自分の代わりにやろう」

 というところまで漕ぎつけました。

「頭の後に鉄砲を当てがって、ズドン」

 見ると、崔は蓬頭垢面、眼のぎょろりとした、緞帳芝居そのままの山男です。さっそく床屋に連れて行き、風呂に入れ、さっぱりした衣服に新しい靴を買い与えると、相好を崩しての歓びようでした。

「お前は、日本人が2人殺されたのを知ってるそうだが――」

「アア、知ってるとも。日本人だけじやないぞ! 露西亜人も蒙古人も殺されてる。1人ずつだが――」

 と、鼻うごめかして言う。

「どういう風に殺されたのだ?」

「それはな、深い穴を掘ってよ、その前に坐らして、頭の後に鉄砲を当てがって、ズドンとやったよ」

「そうか! じゃ、お前は、屯墾第三団の連中は大抵知ってるだろうな?」

「当たり前だ。毎日顔をみて暮らしてるンだから――」

 郭と寸分もたがわぬ陳述でした。魚はすでに鈎にかかったのです。残る問題は、どのような方法を用いて、奉天まで誘き出せるか、ということです。まず、彼等に対する常識から云えば、第一が金銭、第二に女ということになりましょうか。で、第一の好餌をつきつけたのです。

「耳を割き鼻をそぎ……」と事件の残忍さを主張する新聞見出し 1931年8月18日東京朝日新聞

「どうだ、崔! すばらしい金儲けがあるンだが、俺と一緒に奉天へ行かないか。今お前が云ったことをそのままはなせば、途方もない大金がお前の懐へ転げこむぞ」

「本当か、そらア――」

 目がぴかっ! と光ります。

 御意の変らぬうちに――と、支度もそこそこに、その日の夜行で出発しました。忘れもせぬ9月13日の夜でした。