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連載昭和の35大事件

「下山事件」の真相は他殺か? 自殺か?――側近が振り返るあの日の”後悔”とは

国鉄を愛する固い信念が燃えているように見えた

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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前日にもGHQと交渉を進めていた形跡

 矢は弦を離れた。我々は事務的に整理の具体的進め方の協議に入り、7月4日がアメリカ側の独立記念日であることからこの日は本庁関係の者に止め、現場第一次の整理言い渡しの日取りは7月5日と定められた。

 当時の状況としては、これだけの大きな仕事は政府とアメリカ側の強い支持がなければ単に法律だといっても国鉄のみの力では容易でない。従って万一の場合を慮りこれ等との連絡には特に念を入れていたわけである。C・T・Sでは1日も早くやれという。我々は万全の備を立ててからでないとやれないと主張しこのように決定したのである。その間7月の3日だと思うが、夕刻を過ぎてこの決定をしC・T・Sに下山総裁と2人で連絡の為に担当官のシャグノン氏を訪ねたが不在だった為、当直の将校にその旨伝達を依頼して午後11時頃帰宅した。その直後零時を過ぎていたと思うが下山氏から電話があり『シャグノンが東京駅から電話をかけて来て大変怒っている。俺の家へ来ると言って電話を切った。何かあったら又連絡する。』という話。

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 私も寝ないで待機していると再び総裁から電話で『今シャグノンが帰ったよ。酒をのんでいるらしいが大きなピストルなんかを胸につけて何かくどくど言っていたが了解したと見えておとなしく帰って行ったから別に心配はない』という話。7月3日以前にやれといって居たのを5日にしたのが不満で一杯機嫌も手伝ってやって来たに過ぎないのだが、これが誇大に伝えられてピストルで総裁が脅迫されたなどと伝えられている次第である。

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 尤も当時シャグノンあたりの処迄どこからか知らぬが随分脅迫めいた事があったらしくうそか本当か知らぬが『俺の車が今日3度もパンクさせられた。』とか言っていたし、その事件の前後は大きなピストルを何時になくいかめしく胸間にぶらさげていた事は事実である。シャグノンはかなり悪い事もしたが伝えられている程の大悪人ではなく、私は彼のことをドンキホーテを地でいったような人間だと思っていた。