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連載昭和の35大事件

「下山事件」の真相は他殺か? 自殺か?――側近が振り返るあの日の”後悔”とは

国鉄を愛する固い信念が燃えているように見えた

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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もう少し捜索が早ければ……

 7月5日、我々は例によって午前9時から関係者が集って会議を開いていた。登庁されれば必ずお早うといって私の隣の総裁席につかれるのに今日に限って10時を過ぎても見えない。11時には揃って総司令部に行く約束になっている。

 おかしいなと思ってお宅へ電話すると平常通り8時一寸過ぎに出かけられたとの報告、それから手分けをして立寄られそうな処を片っ端から電話をかけても依然不明(総裁は出勤前に政府や政党、先輩達の処へ時々寄って来られることがあった)どんなに都合が悪くとも約束の時間はきちんと守られたし、殊に占領軍に対しては特別に気を遣っておられたことでもあり、不安がフッと頭の中をかすめたが我々のどの1人にも見当さえつかぬ。

 約束の11時が来たので私1人で総司令部へ出かけ話を済ませて帰庁したのがお昼一寸前、帰れば総裁がひょっこり出て来られて『今朝こんなのに会ってこんな話を聞いて来たぞ。』といつもの穿索好きの手柄話が出る位を予想して、帰るなり『総裁は。』と問うと『まだどうしてもわかりません。』という答、私は漸く最初の不安が胸の中一杯に広がって来るのを感じた。

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 もう猶予はならぬので政府、警視庁、司令部等に直ちに連絡をして捜索の手配をとった。それからの事は新聞や色々のもので報ぜられた通りなので省略するが、私が今でも残念でたまらないのはもう少しこの手配が早ければどうだったかという事である。お伴の大西運転手さえ午後5時迄三越の南側でぼんやりと待って居り、最初は随分怪しまれたがこれは全く善意である事がわかった。三越に入られてからの足取りは今だに何も解っていないのが真相であろう。

下山総裁行方不明を伝える朝日新聞

数々の目撃情報もはっきりしない足取り

 私共の頭に最初にピンと来たのは労働関係の情報を得る為に誰かに会われてそのままその話に深入りされているのではないか、最悪の場合はそのまま何処かへ拉致されたのではないかということであった。

 この疑は今日も解けないが当時の事情からいうと最もあり得る事であった。三越の中や地下鉄線浅草駅や、現場附近で似た人を見かけたという人が出て来ているが、その誰れも下山さんとは一面識もない人々であって、捜査の材料になる程のものは1つもない。考えようによっては、事実をまぎらわしくする為に故意にこんなカモフラージュをする位の事は極めて簡単なことだ。

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 翌6日早朝総裁は常磐線の線路上に言うに忍びないなきがらとなって発見された。悲痛というか憤激というか。当時の我々の気持を現わす言葉を私は知らない。