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連載昭和の35大事件

「下山事件」の真相は他殺か? 自殺か?――側近が振り返るあの日の”後悔”とは

国鉄を愛する固い信念が燃えているように見えた

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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「12万人の首切り」という使命を背負った下山総裁

 私はむしろ我が意を得たのであるがおさまらないのは大臣の岡田氏で私にはすまんすまんとあやまられるし、第1他の人を探さねばならない。私にも相談があったので一も二もなく当時東京鉄道局長であった下山君を推薦した。これが他の方面の意見とも一致しG・H・Qも幸その人物、才幹を知っていたのでそれならよかろうということになって下山運輸次官の出現となった。これは官庁のならわしとしては異例の人事でありそれに総司令部の意図に影響された1つの例である。下山君は案の定次官として立派な役割を果した。経歴からいえば新しい畑である海運の方にも特によく眼をそそぎ、下僚の人達からも親しまれその尊敬をあつめていたように思う。

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 当時世間ではラッキーボーイと下山君のことを批評していたが豈図らんやこれが後から考えるとラッキー処か死出への第一歩となったのである。というのは翌昭和24年の6月マックアーサーの手紙から国鉄は改組されて運輸省から離れ新たに日本国有鉄道という所謂パブリック・コーポレーションとして発足することになりその初代総裁を決めるに当って、自薦、他薦色々の人物の登場となったが、その権限を知ったり殊に12万人の首切りをひかえているのでは普通の頭を持った人なら飛びつく筈がない。

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 案の定様子が解るにつれて皆が皆尻込みをし結局次官である下山君に持って行く他はなかろうということになった。その当時下山氏が『大臣が俺に暫定的に総裁をやれという。誠に失敬な話だがどうしたものだろう。』と相談された。私は言下に『この国鉄の重大な時機に暫定とは何事だ。そんなことならはっきりお断りなさるがよかろう。』と答えたら下山氏も『俺もその通りだと思う。』と言われ、これは大臣の失言ということで更めて是非お願いするということになり初代下山総裁の実現となったのである。下山総裁は就任の直後私の手を何時になく固く握って『国鉄の為にどこ迄もしっかりやろう。』と言われ意気軒昻そのものであった。その時の氏の面持を私は今だに忘れることが出来ない。これが昭和24年6月1日。実に下山氏だからこそ誰にもましてこの仕事の困難さを熟知しその試練を経てこそ始めて国鉄の復興は遂げられることを信じ難事を覚悟して敢えて引受けられたと思う。