やたらと国鉄を非難に躍起になる共産党
共産党の連中は或はドイツの国会焼打事件を例にひいて右翼の陰謀であると宣伝し又一方では心ならずも職員を整理することが良心の苛責に堪えられなかった為の自殺だなどと誠しやかにとなえた。何故こう自殺、自殺と問われもせぬのに宣伝しなければならないのか。私にも不思議に思われたが、後で考えれば同月25日、20日間を置いて三鷹の電車暴走事件が起きた。この時の事件発生と同時に現場で党員が六三型の自然発車だとわめきたてた。
越えて8月18日、同じく20日程置いて松川では自然脱線顚覆と思わせるような事件が起きた。当時は共産党の活動に国会や新聞などに国鉄線の脆弱な処や欠陥を誇大に撮影して売り込み、かく国鉄はきずだらけだ、これは幹部と組織が腐敗している為だと宣伝に躍起であったことがあった。真相であるならば国鉄が予算を得る手伝いをしてくれるので甚だ結構なのだが、多くは欺瞞であり最大限の誇張が主であった。
下山、三鷹、松川で続く3つの事件の共通点
当時我々がひそかに得た情報に正確な言葉は忘れたが『革命の近いことを確信して各自が持場持場で飽く迄闘争をすること。革命を起こすには先ず人心不安を起こす事が先決であること。社会や施設の欠陥をついて、その欠陥の為に人心不安をかもすような事件が次々と起るよう企らむこと。それはどこ迄も人為的でなく自然発生的に見せかけるよう仕組むこと。』というような趣旨の指令がある。
私はこの指令と3つの相次いだ何れもせいさんな事件との因果関係までつきとめていないから勿論何とも断定出来ないが、これらの事件がいずれも社会と施設の弱点をついたものであり、揃って自然発生的に起きたことに何だか関連性があるような印象をどうしても払い除くことが出来ないのである。
下山総裁の死はこのように依然疑雲に包まれたまま6年を閲し、近親をはじめ我々関係者一同悲涙をとどめる術もないが、国鉄としては多年の懸案の1つが解決して合理化への軌道はひかれ、一方労働組合の反省をも促す契機となったことは事実であり、同時に一般の経営者側の奮起もみられるようになり、我が国の産業史上一時機を劃する様になった。
総裁の死はこの点からいえば単なる徒死ではなかったと考えるのであって、故総裁の霊も今後国鉄の再建が真の実を結び、我が国の自立経済が確立された暁には僅かに慰められるところがあるのではないかとひそかに思うのである。
(緑風会・衆議院議員)
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