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混沌とした社会の激動と混乱の頂上で起きた事件

 昭和26年3回忌を迎えて発刊された故下山総裁の追憶集の序に求められて書いた私の一文を再録してみる。

『今でこそやっとの思いで筆をとる事が出来るが、あの当時のことを思い出すだに身も凍る思いである。早くも下山さんの三年忌を間近にひかえて傷恨永く尽きるところがない。それにしてもどうしてあれ程の大きな出来事が今以て国民の前に明らかにされないのであろう。いや、普通社会の常識や通常人の推理で解き得られぬのがあの事件の本質であったかもしれない。行手にどんなことが待ち構えているか、人間にそれが解る筈もないし、苦境に在ってはやがてはというはかない望を続け楽しみの中に在っては何時それがくつがえるかも知れぬのをつい忘れて了う。それが人生である。生者必滅の理は頭の中に心得ていても一旦現実にぶつかれば魂は飛び心乱れて徒らに因果のきずなをまさぐり戸惑うのが人の常であらう。

 下山さんの死はそうした世の常の法則を超えた出来事であったに違いない。こんなことが起り得るのか、当時我々は自らの眼や耳を疑わざるを得なかった。常識や普通の因果の法則ではとても説明出来ないことなのである。科学者達は真剣な探究を続けたし一方では小説もどきの勝手な推理も随分行われた。然しながらそのどれもが所詮は真に謎をとく鍵にはなっていない。私は思う、全く因果の法則を起えた、いわば超人間的な事柄がひそんでいるとすれば我々にそれがたやすく解明出来ないのも已むを得ないことなのかもしれないと。歴史の激動期などには何かしら一つの強い力で個々の意思も生活も生命も押し流されふりとばされて行くように見える。革命の歴史は我々に普通の社会では考えられない事態が相次いで人々の意思や常識をとび超えて起きることを教えている。下山さんの死は日本の歴史が大揺れに揺れて国がどちらへ行くのかどうなるのかさえ気づかわれ国民は右往左往、社会も産業も秩序というものを失って了った、そうした激動と混乱の頂上で起きた事件であった。』

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 実際国鉄は戦争中から戦後にかけて全く苦難の道を歩み続けたが昭和24年という年は恐らくその頂点であったろう。資金と資材の不足、老衰した施設、超過剰な職員、インフレの昻進というような悪条件はその極度に達し、戦後労働問題に関するG・H・Qのミスリードとこれに乗ずる日本共産党の戦術にかきまわされて、いわゆるニッチもサッチもいかぬといった状態である。

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 どの事業を見ても経営側はこのはき違えか或は故意に勢に乗じたこの民主主義の擡頭によって辛酸を嘗め中には腰が抜けて了ったのではないかというような様が見受けられた。一方では革命近しと呼号して今にこちらでお前等のほんものの首を切ってやるぞとおどかすちんぴら共産党員もあったし、笑い話でなく共産党に入って居れば命だけは大丈夫だからというようなもの迄出る始末である。