科学捜査、警察の捜査……決め手を見つけられなかった総裁の「死」
自殺説は早くから人の口の端に上り、それを半ば断定的にあつかった新聞すらあったし捜査が困難を極めて来ると真先きに警視庁の捜査第一課では自殺説をもち出し、時の警視総監田中栄一君迄がその説をいとも簡単に述べたのであった。
私はその瞬間から総裁が自殺されるわけのないことを信じていたが、自殺者の心理は到底普通にはわからないということも聞いていたので、所謂自殺説の根拠とされるものは一々調べて見たが科学的なより処は1つも見当らない。相変らずかんだとか土どり、足どりだとかを言って居って強力犯ならいざ知らず、智能的犯罪には全面的には通用しかねる議論ばかりである。
私の知っている範囲ではこの調査に当って感心した事が2つある。1つは直後死体を解剖に附された東大病院の慎重な検査であり、1つは警視庁捜査第二課の智能的、科学的捜査である。一は科学的検証によって死後轢断と鑑定されたし、一はこれだけでも自殺説を全然否定する材料とも思われる総裁のズボンだけに附着したしぼる程多量の特種の油(現場附近からはもとより検出されないし、機関車の放出する油とは全く違うもの)と取っ組んで都の内外40数ヶ所の油について涙ぐましい位の検討が続けられたが、遂にきめ手となる発見が出来なかったことは返す返すも残念なことであった。
周辺で起こっていた、いくつかの不思議な出来事
考えれば考える程当時不思議なことが起きた。5日の夕刻行衛不明が伝えられた直後位東鉄の労働組合事務室に電話があって総裁が自動車事故で亡くなったとの報せがあり組合員が喚声をあげた(これは後で尾久駅からの電話とまでわかったが誰がかけたものか遂に判明しない)という報告だの、同駅の便所の中に下山と書いてこれを抹殺する×が書いてあったり、事件に一番関係が深いと見られる田端機関区では7月1日から9日迄の業務日誌が切り取られていたり、問題の貨物列車は起こし当番が乗務の機関士を起こすのが遅れその上何時の間にか機関車のかまのプレッシャーを下げてあって、その為に発車が16分位も遅らされたりした事実がある。
一番最後のものなどは前に通過する電車と貨物列車の通過との間隔を引き延ばし作業をし易くする為の故意の行動と見られないことはない。そうとすれば明かに犯罪に関係があることになるのだが、不思議にも偶然の出来事ということになり、因果関係は遂にたぐり出し得なかったのである。