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「天皇陛下を殺そうとした」大逆罪で起訴される前日譚

 震災のすぐ前のころ、たしか8月中のことだった。朴烈がひそかに人を上海に送って爆ダンを買い入れにやった、といううわさが社会主義者のあいだにひろまった。そして、爆ダンを買いにいった男は暁民会の原沢武之助だともいわれていた。このようなうわさはその頃の情勢では当然警察の耳に入る。そして、耳に入ったからこそ、たちまち朴烈と文子のふたりを爆発物取締規則違反で起訴したのだ。

 だが、何ひとつ物的証拠はない。ただ、証拠とみとめられるのは前にものべたように「爆ダンを手に入れようと思っていた」という朴烈の陳述と、「自分もそのことはしっていた」という金子文子の陳述だけである。もちろんこんな陳述だけではてんから問題にならない。しかし、検察当局としては一たん針のメドほどの穴があいたらもうしめたものである。あとは悪らつきわまる誘導訊問とだましこみ、おどしこみの戦術で、その穴を彼らの思いどおり大きなものにすることは何でもない。

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 とくに悪かったのは大震災の3、4日まえのことである。雑誌の口絵にあった、大正天皇の写真を柱にはりつけ、その前で朴烈が「こんちきしょう」「こんちきしょう」といいながら短刀でめったやたらに突きさしていたことだった。その現場を開け放した座敷の窓から尾行の刑事に見られてしまった。このふたつのことから、「爆ダンを手に入れようと思った」ことと、「こんちきしょう、こんちきしょう」をうまくからみあわせて、デッチ上げればそこに十分大逆事件が成立しうる。つまりは「天皇を殺すために爆ダンを手に入れようとした」というデッチ上げが成功すれば旧憲法第73条に該当するということになる。もしそういう結論へもってゆければ、ときの政府憲政会内閣の方針とまさにぴったり合うことになる。朝鮮人の中には「天皇陛下を殺そうとした」こんな悪い奴もいたからこそ、震災当時に日本人の怒をかってあのような大虐殺がおこなわれたのだ、ということになって諸外国のいろいろな非難に対していく分でもいいわけが立つ。政府の目ざすところはただその一点にある。ここにおいてか検察当局の頭も、当然のこととしてその方向へ急速に傾斜していったのである。

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利用された金子文子の特異性格

 このような政府の謀略の手先につかわれた大逆事件デッチ上げの大仕事を引きうけさせられたのが、世に名をうたわれた声楽家立松房子の亭主であり東京地方裁判所の判事である立松懐清だった。

 立松判事がまず眼をつけたのが金子文子の特異な性格だった。幼くして母に捨てられ朝鮮に流れ、無慈悲な伯母にいじめられた彼女は、なみなみならず反抗的で狂熱的で捨て鉢で、おまけにしばしばヒステリックでさえもあった。それを見てとった立松判事は、彼女をたくみに誘導訊問にひっかけては、おだてたりなだめたり、おどかしたり、すかしたりした。そして彼女が理論的に追いつめられては、苦しまぎれの捨て鉢から興奮してヒステリックに吐き出す言葉のひとつひとつをひろい上げ、それを言質にとっては、つぎからつぎへとしめ上げていった。そして文子の陳述を裁判所の思う壺にはまるようにと追いこんではたくみに作り上げていったのである、たとえば「お前は無政府主義者なら当然天皇権力を否定するだろう」「もちろん否定します」「それなら天皇の存在そのものをも否定することになるね」「なりますとも」「それなら朴烈が何かの手段で天皇を抹殺しようと企てたときに賛成するね」「しますとも」「じゃ天皇を殺そうとするときにも賛成するね。お前は大逆犯人だ」という風に。そして、朴烈と文子のふたりこそは明治天皇を暗殺しようとして果さず空しく絞首台上の露ときえた革命家幸徳秋水と菅野須賀子の志をつぐものであるとまでもおだて上げた。こうして文子の方をまず憲法第73条にひっかけることに成功した。

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 うまうまと文子をおとし入れた立松判事は、勢に乗じてこんどは主犯の朴烈に立ち向った。だが、朴烈は文子みたいにそうやすやすとはおとし穴に入れられなかった。