同じ棋士といえども、記憶をたどるとそれぞれの将棋人生が浮かび上がる。黒沢怜生五段と都成竜馬五段、東西の若手強豪棋士に将棋入門から奨励会突破までを語ってもらった。
才能だけでは勝ち上がれない勝負の世界。白星しか意味がないなかで、勝利への渇望がときに敗北の恐怖に入れ替わる。2人からは、自分の将棋にただ向き合う生々しい悩みがうかがえた。(全2回の2回目/#1より続く)
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「『竜馬』は父が将棋好きだったからです」
――将棋を覚えたきっかけは何ですか。
都成 父が兄や叔父と指していて、自然と覚えました。名前の「竜馬」(読みは『りゅうま』で『竜』と『馬』は将棋で強い駒)も、父が将棋好きだったからです。
将棋を始めたのは4歳。最初は居飛車党でしたが、小学校に上がったぐらいから奨励会に入るまで、四間飛車ばかりでした。藤井システムの真似事をして、居玉で居飛車穴熊を脅すんですけど、何も攻め方を知らないから(笑)、最終的には美濃囲いに入城していました。
黒沢 私は小1のときに児童館に通っていて、雨の日に教わったのが将棋でした。父はルールを知っていたぐらいです。のめり込んだのは面白かったのと、3歳のころから「公文」に通っていて、羽生(善治九段)先生の宣伝を知っていたからです。
子どものときは自由に指していて、玉を囲わない将棋も好きでした。石田流で居玉のまま仕掛けるとか、初手▲7六歩に△4四歩(奇襲作戦で、俗に『パックマン』)の挑発とか。
――当時は序盤、中盤、終盤、どれが得意でしたか?
都成 子どもで序盤型の人はいないですよ(笑)。
黒沢 形は覚えられるけど、手順は覚えられない。矢倉とか、手順はもうひどかったと思います。
都成 相手の陣形とか、見ていないですもんね。