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特集観る将棋、読む将棋

2019/08/09

「たにがわってひとから、でんわだよー」妹が電話に出た

――都成五段が谷川浩司九段(十七世名人有資格者)門下になったいきさつを教えてください。

都成 宮崎県在住で、面識のある棋士もいませんでした。そこで、自分のなかの棋士といえば、師匠と羽生先生。師匠に手紙を直接お送りして、弟子にしてくださいとお願いしました。

 返事は電話をいただきまして、小学生にもなっていない妹が最初に出たんですよ。それで「たにがわってひとから、でんわだよー」っていわれて(笑)、父親が血相を変えて電話を替わったという……。

黒沢 すごい出だしですね(笑)。

都成 神戸でお会いしましょうと言っていただき、神戸にいった日に入門の許可をいただきました。テレビや本で見ている先生ですから、芸能人と会う感覚で、めちゃくちゃ緊張していました。

 直接聞いたわけではないですが、師匠が弟子を取ってもよいと思った時期で、タイミングがよかったそうです。1月17日生まれ(阪神・淡路大震災が起こった日付と同じ)、名前の「竜馬」にも縁を感じてくださった。自分が小学生名人戦で優勝したときのビデオをわざわざ取り寄せて、将棋も見どころがあると思われたそうです。

 

――奨励会入会は2000年です。将棋はどのように変わりましたか。

都成 入会直後は四間飛車ばかりでしたけど、玉の堅い居飛車穴熊とミレニアムに勝てなかったんですよ。そしたら、ゴキゲン中飛車がはやり出して、それに変えたら劇的に成績がよくなりました。三段までは石田流との二刀流で、関西の久保利明九段の軽い振り飛車に影響を受けましたね。

 自分は宮崎から例会に通っていましたが、中学を卒業した2005年(当時、奨励会1級)に大阪に出ました。大学生の兄と2人暮らしです。自分は高校にいかないつもりでしたが、親にいくのが奨励会を続ける条件といわれたので、大阪の高校に通いました。

黒沢五段が振り飛車党になったとき

――黒沢五段は、谷川九段と同年代でタイトルを5期獲得した高橋道雄九段門下です。

黒沢 小学4年のころから師匠の子ども将棋教室に通っていました。奨励会試験を小5と小6で受けているんですけど、小6で合格後(2003年)に師匠から「前は五分五分だと思ったけど、今回は受かると思った」といわれました。

 

――奨励会に入ってからどうでしたか。

黒沢 相変わらず自由に指していました。しっかり定跡を勉強し始めたのは、初段からなんですよ(笑)。それまでは力任せでした。私は初段に3年間いて、石田流とゴキゲン中飛車をやり始めてから数カ月で二段、三段と上がりました。振り飛車党になったのは、もともと対抗形が好きで、当時は周りには居飛車党が多く、私が飛車を振れば確実に対抗形になるからです。関東なので、鈴木(大介九段)先生と藤井(猛九段)先生に影響を受けました。