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「ダラダラと三段リーグを戦っている感じだった」

――先に三段リーグに入ったのは都成五段で、2007年の17歳のときです。

都成 10代のうちは振り飛車のみでした。居飛車も指すようになったのは、なかなか上がれる気配もないし、東京の奨励会員とも指すようになって、振り飛車一本じゃ大変かなという気持ちが芽生えたからです。でも、また振り飛車一本にしたりと、ブレていました。

 時間がかかったとはいえ、10代のうちに三段になりましたから、やっているうちに上がれるという感覚がありました。最初は対局中にほかの人の将棋ばかり見ていましたし。

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 でも、だんだんその感覚がなくなってくるんです。後輩にあっという間に抜かされちゃうし、年々、厳しくなっていきます。途中からは焦りというより、ダラダラと三段リーグを戦っている感じでした。

 

――ダラダラ? でも、勉強しているんですよね?

都成 やってはいるんですけど、三段リーグがあまり長くなりすぎちゃうと、よく分かんなくなっちゃうんですよね。惰性じゃないですけど、「昇段する」と強い気持ちがない時期もあった。奨励会員の仕事で記録を取ったり、アマチュア大会の手伝いをして、同世代が棋士として活躍しているのを見ると、すねちゃうじゃないですけど……。モチベーションの維持が大変でした。

――そのなかで、2013年に新人王戦(若手棋士と若手女流棋士、奨励会三段らが出場する棋戦)で優勝します。

都成 決勝の三番勝負で居飛車を2局指していますが、ほかはほぼ振り飛車です。優勝できて、自信になりました。

「勝ちにいった」羽生先生との対局

――新人王戦の記念対局は、羽生善治三冠(肩書は当時)でした。

都成 いやーやっぱり、羽生先生と盤を挟めるのは……。師匠から連絡をいただいて、「優勝した一番のご褒美は、これだから」といわれました(結果は羽生勝ち)。

――戦型は横歩取りの青野流でした。いろいろ作戦の選択肢があるなかで、なぜ研究勝負になりやすい作戦をやったんですか?

都成 当時、青野流が好きだったんですよ。あとは、いちばん一発が入りやすいから(笑)。

黒沢 勝ちにいったんですね(笑)。

 

都成 正直、それはありました。いま思えば、中飛車とかでじわじわ敗れていったほうがよかったかもしれないけど、何ともいえないところです。当時は自分なりに考えました。