解説:「大トラ」と呼ばれた大蔵大臣が女性議員にかみつく!

 現職の大蔵大臣が国会内で泥酔して野党女性議員にキスを拒まれあごにかみつく!? 新聞の社説は「世界の議会史上かつて聞かざる珍事」と書いた。セクハラではすまない、堂々とした暴力事件。ところが、1948年当時の雰囲気は少々違ったようだ。

「加害者」は大臣をクビになり、直後にあった衆院選で立候補を見送らざるを得なかったが、2年後の参院選全国区では40万票近くを集めて上位当選。逆に「被害者」の女性議員は衆院選で落選した。「事件」に「謀略」のうわさがあった一方、「大臣の辞め方が潔い」という見方があったためのようだが、そこには国会においてさえ、こうした問題での男と女の態度に対する社会の視線がうかがえる。

 この年、まだ食糧難は解消されず、エンゲル係数の全国平均は63.8%。前年から流行していた「東京ブギウギ」に加えて「湯の町エレジー」や「異国の丘」のメロディーが街に流れていた。1月に銀行員ら12人が毒殺される帝銀事件が発生。5月に美空ひばりが歌手デビューし、6月に太宰治が自殺した。11月12日には東京裁判で25人に有罪判決が下され、今回のハレンチ事件から10日後の12月23日(現上皇の誕生日)には、東条英機元首相ら7人の絞首刑が執行。翌24日には岸信介・元商工相(のち首相)らが釈放された。「まだまだ戦時の荒廃から脱却できない、うら悲しい戦後であった」(戸川猪左武「素顔の昭和戦後」)

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若かりし頃の美空ひばり ©文藝春秋

国会議員9人を含む63人が逮捕 戦後最大の「昭電疑獄」が発生

「事件」を語るには当時の政治・社会情勢と、戦後最大の疑獄事件と当初いわれた昭電疑獄に触れないわけにはいかない。日野原節三が社長を務めていた大手化学メーカー昭和電工が、復興金融金庫から巨額の政策融資を受けるためとして政治家、官僚、財界人らに賄賂を贈ったとされた。

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 当時の民主、社会、国民協同3党連立内閣の副総理・西尾末広衆院議員(のち民社党委員長)らが逮捕され、芦田均首相率いる内閣は発足から約7カ月で総辞職。その後、芦田前首相も逮捕されて、逮捕者は国会議員9人を含む63人に上る大事件となった。その中には、のちに首相になる福田赳夫・大蔵省主計局長も。しかし裁判の結果、日野原ら3人が有罪となったものの、芦田前首相、福田前局長ら、ほかの大多数は無罪とされた。